小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

音を聴く「ノイマンのモノラルカートリッジ」

Mさんのところでノイマンのモノラルカートリッジを聴いてきた。
カートリッジの話から入ってしまったが、今日の主役は
WE社の4151と555を組み込んだモノラル用スピーカー。
ウーファーをJensen から取り替えどう変わったのか聞きにいったのだが・・。
オルトフォンの角付きで聴いている最中も、
Mさんはノイマンのセッティングに余念がない。
果たしては今日は聴けるのか、気を揉みながら作業を見守る内に
調整が終わり、いよいよ音が出ることに。
音が出た瞬間、音の景色がガラッと変わって聞こえてきた。
ノイマンはスピーカーの音を一変 させてしまったのだ。
 エエッ、オオッ、驚きと感動が同時に押し寄せてきた。
レコードに入っている音がどんなに素晴らしいものなのか。
なにをもってレコード芸術と称するのか。
抜けるような音場に、美が宿る細部が見事なまでに再生される。
聴くものの心と音楽を親密に 近づける魔力を秘めた響き。

確かにレコードは芸術を再現しているではないか。
 ハイファイの語はあふれているが、
なにをもってhigh fidelityと称しているのか。
その真の意味、答えを見つけたような気がした。
ノイマンがトレースした再生音は、
山高く渓深い奥行きのある山容ともいうべき
サウンドのクッキリした全体像。
もちろん、これは録音など高度なレコード制作技術があってのこと。
当然の事ながらどんな再生機器も、
レコードに入っている音質以上の音は出てこない。
ここでhigh fidelityオーディオの原点はレコードだと、
出発点に回帰したことを再確認する。

こんな音があったのだ。 
ノイマン、おそるべし。

針はLPとSPがターンオーバーで使えるようになっています。
オリジナルは専用アームのウエイト部にトランス内蔵。 
しかし、資料がなく詳細な仕様は不明とのことです。

それにしてもです。
測定具など不要と耳だけを頼りに、
部品選びは経験知で勘所を押さえ、
ここまで音 作りしてきたMさん。
今回はかってない、パーッと開けた音の風景を
手に入れたのではないでしょうか。 

文を読む「六字」

「六字」とは「南無阿弥陀仏」
柳 宗悦著「南無阿弥陀仏」

日常、宗教に無縁な生活を送っている自分にとって、
最も身近かな宗教的言葉は「南無阿弥陀仏」
その実中味は知らずに過ごしてきた。
それこそ宗教とは無縁の人生。
それで何の不都合もなく生活できている。
世に宗教の本はあふれているけれど、
何の為なのか必要を認めず通り過ぎてきた。 
教養のための宗教的知識にも興味はなかった。
それが何故に「南無阿弥陀仏」を読むに至ったか、
自分でもよくわからない。
柳の文章はわかりやすく読みやすい。
かと言って文は宗教的体験のない自分の外側にある、
知識以上のものでないのも事実。
ただ、仏性というものは生きとしいけるもの全てに存し、
生まれ出ずる由縁とも、死して帰るところ でもある。
と、いうことが会得されるような気持ちになった。
それは自分の体を作っている60兆ともいわれる細胞中の
遺伝子の 中に、仏が備わっているというイメージにつながる 。
読み進んでここまでは知識の延長だったが、
18章仮名法語に至って、『一遍上人語録』に載せてある消息文の一つ。
その言葉に教文として初めて心引かれるものを覚えた。
以下に引くこの言葉は自分の内側のものとして共に歩めそうだと。
 空んじて 口遊みたい。

「夫れ、念仏の行者用心のこと、示すべき由承り候。
南無阿弥陀仏と申す外さらに用心もなく、この外にまた示すべき安心もなし。
諸々の智者達の様々に立てをかるる法要どもの侍るも、皆諸惑に対したる仮初めの要文なり。
されば念仏の行者は、かような事をも打ち捨てて念仏すべし。
むかし、空也上人へ、ある人、念仏はいかが申すべきやと問いければ、
「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、
西行法師の『選集抄』に載せられたり。これ誠に金言なり。
念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、
地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願う心をも捨て、また諸宗の悟りをも捨て、
一切の事を捨てて申す念仏こそ、弥陀超世の本願には、かなひ候へ。
かように打ち上げ打ち上げ、唱ふれば、仏もなく我もなく、ましてこの内に兎角の道理もなし。
 善悪の境界皆浄土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。
よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、
念仏ならずといふことなし。人ばかり超世の願に預かるにあらず。
またかくの如く愚老が申す事も意得にくく候はば、意得にくきにまかせて、
愚老が申す事をも打ち捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願に任せて念仏し給うべし。
念仏は安心して申すも、安心せず申すも、他力超世の本願にたがふ事なし。
 弥陀の本願には欠けたる事もなく、余れる事もなし。この外にさのみ何事をか用心して申すべき。
ただ愚なる者の心に立ち返りて念仏し給うべし。南無阿弥陀仏。  一遍」。



 

音を聴く~心に残る音と演奏~

~この人の音で曲は音楽になる~ 

Bella  Davidovich は1928年7月16日生まれのアゼルバイジャン出身ユダヤ系ピヤニスト
1949年第4回ショパン国際コンクール優勝者 モスクワ音楽院首席卒業
1950年ヴァイオリニストの ユリアン・シトコヴェッキーと結婚
1956年シトコヴェッキー死去
 夫妻はロシア当局との折り合いが悪かったようでロシアでの活動の
詳細はわからないが、二人の実力に見合った録音は 多くない。
共演した録音は手元にある限りわずか2曲。
モーツァルトとタルティーニの ヴァイオリンとピアノのソナタのみ。
1978年米国 に亡命し1982年からジュリアード音楽院で教え現在に至る。

音声と節回し(音程とリズム)から音楽は生まれ、
精妙な音は人の心深くに届く。
演奏される一音一音は感情(喜怒哀楽 )や
美意識(人格、精神)を表現する。
いってみれば音は演奏する人そのもの。
音は言葉のように嘘をつかない。
だから人は音楽を心から楽しむ。音そのものにとり憑かれる。
当たり前ですが曲というのは譜面にある通り機械的に演奏しては、
作曲者の内面までは表現できませんね。
曲にあった音色と響きを吹き込んで初めて血が通い魂が宿る。
言ってみれば音は譜面を行き交う精霊にならないと音楽にならないのです。
 
ダヴィドヴィッチを初めて聴いたのは1982年彼女が54歳の時に録音したショパン。
バラード4曲、即興曲4曲と 24の前奏曲が入った2枚組のCD。
滑らかな親しみある演奏で大変聴きやすい。
 角の取れた柔らかさは年齢もあるが彼女の特質と天賦の才による所が大きい。
そんな力を抜いた穏やかな演奏をするダヴィドヴィッチだが、
60年頃はもっと溌剌とした演奏をしていたようだ。
これを書く切っ掛けになったのは、1960年32歳に録音した
サン・サーンスのピアノ協奏曲2番ト短調を聴いたからだった。
初めて聴く曲だったが曲想と彼女のピアノがマッチしていて、
気負いのない演奏が気持ちよく耳に届き心に響いた。
技術的な切れ味と溌剌とした躍動感は若いから当然といえばそれまでだが、
それ以上に彼女の内面が放つ美質な音が聞こえてくる。
一言でいえば懐が深い、控え目だけど輝いている、地味だけど艶やかな音。
清々しい音は惚れ惚れと身にしみてじっと聴き入る。 
聞き飽きることのない音色で演奏する60年頃の録音をもっともっと、
CDではなくレコードで聴いてみたくなった。
 

年末年始の営業

2016年年末~2017年年始の営業予定

12月26日(月)から1月4日(水)まで
休業いたします。

今年一年のご愛顧ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

音を聴く「今年の音」

今年、音楽界 最大のニュースは、ボブ・ディランが
ノーベル文学賞を授賞したことではないだろうか。
彼は詩人として  ノーベル文学賞を授賞した。

また、このニュースは文学界最大のニュースともなった。
あの村上春樹でなくどうしてディランなのか。
多くの人は考えたことだと思う。 
作家は何らかのメッセージを込め詩文を作る。
新たにディランの詩を文学として読んでみたいし聴いてみたい。

日々音楽を聴きながら今年も過ぎた。
クラシックは楽譜に従っているけど、
演奏家によって曲の表現や印象が違う。
作曲家と演奏者と聴くものがいて音楽は成り立っている。
音楽は三者三様の感性と想像力で楽しむものなのだろう。
今年聴いたクラシックでおもしろかったのは、
マルセル・メイエのピアノで聴いたラモー。
毎日起きては聴き寝る前にきいてきた。
車に乗ったときはニコラーワのピアノで
ショスタコーヴィッチのプレリュードとフーガを。
こちらも毎日飽きもせず面白く聴いていて、CDを取り替える気がしない。

ジャズは何かと聴き直している。
今の自分にあった聴きたいものを探している。
再発見したのはアーマド・ジャマル。
アーゴの「BUT NOT FOR ME」は演奏も良いけど、
オリジナル盤は音質が素晴らしい。
などと、今までは音質にこだわった聴き方だったが、
数枚聴いているうちに、そんな額から外して、
裸のつき合いで楽しめるようになった。
彼のピアノもまた心地よい音楽として日々部屋に流れる。
これからも、今の自分にあってジャズもクラシックも飽きず心地よい、
生活の楽しい伴侶になってもらえればと思っている。
来年も良い伴侶に巡り会えますように。
索漠とした世に音楽は心を慰める福音なのだから。

 

秋色

いよいよ秋も深まり里山は紅葉の絨毯に。
紅葉の名所は数々あれど、今は近所が名所。
午後からは寒波襲来の強い北風に、
紅葉が音を立てて舞い飛びました。 

小布施 新生病院 

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須坂 坂田山
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 須坂 芝宮神社
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秋色

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トランプショック

クリントン有利 というアメリカでの世論調査に反し、
総得票数では上回ったが選挙人獲得数で及ばず、
トランプがアメリカ合衆国第45代大統領になることに。
政治歴、軍歴ともにないものが世界第一の大国アメリカの
大統領になるのは初めてのことだという。

今回のトランプ雪崩を起こした投票心理の基底に、
アメリカ人は両候補者に対して、肌でどのような感情を抱いていたのか。
朝日新聞に米市民12名の声が掲載されているのでいくつか紹介します。
先ずトランプに投票した人から。
その1。
クリントンは不正に満ちている。
またクリントン一家がホワイトハウスに戻るのだけは嫌だった。
誇らしいわけではないが、鼻をつまんでトランプ氏に入れた。
その2。
既存の政治家にはうんざりしていた。
政治家が内輪の論理で動かす政治はもうたくさんだ。
その3。
メディアや首都ワシントンにはびこるエリートたちの腐敗を断ち切って
くれると思った。
結び。
これはそのまま日本にも共通するのではないか。
日本の政治を左右する官庁・経団連・政治家たちの癒着と腐敗、
その不正を国民の立場と目線で徹底追求しないマスコミ。
多くの日本人もうんざりしているが、それがいつ我慢できない怒りとなるか。
クリントンに投票した人は。
差別や恐怖や憎しみをあおるような発言を続けたトランプは、
まるでヒトラーのようだ。
クリントンがなってアメリカが良くなるとは思わないが。
本当はバーニー・サンダースに投票したかった。
第3党リバタリアン党に投じたひとは。
クリントンは政治の世界で、トランプはビジネスの世界で
腐敗しきった人たちなので選びようがない。
結び。
既成の利権政治は議会も変えないと大統領だけでは打破できない。
人の振り見て我が振り直せ。
どういう社会を築いたら良いか、日本人一人一人が考えないとね。
ま、そんなところでしょうか。

ハイキング~信州須坂米子の滝~

信州須坂「米子の滝」を巡ってきました。
須坂市内から車で、途中から狭いが舗装された道を
走って約40分で駐車場に着きます。
ここからなだらかな山道に入り、不動滝を直下より見上げ、
権現滝を樹間から眺め、最後は奇妙滝を見る周遊コース。
途中後半にある高台は米子鉱山跡地。
ここは不動・権現滝二条が目の前の岩壁を流れ落ちる
絶景のヴユーポイント。
この後、あずまやで休憩し下山した。
晩秋の陽をたっぷり浴びながら、のんびり午前中の
3時間余りをゆっくり歩いてきました。

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 不動滝

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 権現滝 ここだけが近づけない

百年前、岩壁を間近に見据える台地に生活し硫黄鉱山で
働いていた人は錦繍に縁取られた岩壁のキャンバスに左右二条の滝を
見たとき、この景観はまさに天上の楽園と思ったことでしょう。

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 右 不動滝  左 権現滝 標高1400m

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  奇妙滝

11月1日(火)、紅葉は駐車場の手前1000m付近が見頃で、
1500mちかくある鉱山跡地付近は終わりかけていました。

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 1000m付近

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 1500m付近

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この日は未明の小雨が上がった空に薄日が差し、
天候は徐々に回復しやがて青空が大きく広る。
しかし秋晴れは安定せず、午後は北風の襲来と共に、
山間はあっという間に濃いガスにのまれてしまった。
幸運なことに、この急変は下山し車に乗り込んだ後だったので、
悪天候の洗礼は受けずにすんだ。

 

音を聴く「美しさ」について

例えばブラームスのヴァイオリン協奏曲。
曲の良さに惹かれ何人もの演奏家で聴いてみたくなる。
その中からより自分好みの演奏がみつかる。
それはデザインに惹かれた服を作るとき、
服地の色、模様、材質が自分にピッタリ合ったものを選ぶのと同じ。

好き嫌いは理屈ではない。
自分でも説明つかない感性感覚が無意識に働いて、
直感的に各人各様に判断している。
とはいうものの大ざっぱでも何らかの判断基準はありそうだ。
これは好き、何故って美味しいから。私に似合うから。
これは嫌い、何故って不味いから。
ここには何かしら美しいものを求める気持ちが現れている。
少なくも食べたときいやな雑味が残らないものが美味しい。
これは人に会ったときの人間味にも共通する。
そしてそれは演奏家の音にも言える。
音の響きに含まれるテンポや強弱の付け方は演奏家の心情。
その音が、澄んだ雑味のない音色として耳に残るとき、
そこに美しさがある、と感じるのだと思う。

Ginette Neveuの演奏にそうした美しさが秘められている。
Fritz Kreisler,Jascha Heifetzは加えて気品と風格がある。
就中、流麗なることHeifetzに並ぶ者はいない。

ハイキング~岩菅山~

大型台風18号が沖縄に接近中の3日月曜日、
天気の具合を見て途中から引き返してもいいじゃないか、
との合意の上、曇り空を仰ぎながら出かけました。
8時、奥志賀高原焼額スキー場の麓、聖平登山口1535mから
標高差760mの頂上へ出発。

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荒板沢からノッキリを経て、11時、岩菅山頂上2295m着。

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登頂の30分前頃からポツポツ降り出した雨に心配して、
避難小屋での休憩もそこそこにレインウエアを着込み、
下山を急ぐことに。
休みなく少し急ぎすぎ、下山間際には足がつりそうになってしまった。
幸いにその後雨脚は強まることなく、
11時30、無事登山口に着いた。
山も人生も下り坂は適度にブレーキを掛けながらと反省。
帰途、角間温泉に浸かり汗を流した効果あってか、
意外にも翌日に疲れは残らなかった。

紅葉には未だ少し早かったが、
秋を感じさせるキノコなどを見つけることができた。


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