小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

音を聴く「モーツァルト」は・・

星が降るように、雪が舞うように、
風がそよぐように、せせらぎのように、
森羅万象 が囁くように、
心の風景が雲となって流れるように、
音の糸が紡がれていくように音楽は現れてくる。
そしてサラサラと譜面になっていく。
モーツァルトは人間の苦悩を清らかにするフィルター
として、この世に使わせられたのでは・・。
すべてを引き受けた意識もなく、
苦悩も苦労も努力の 痕跡などどこにも見あたらない。
人間的天才が作るものを超えて、
ただ全き音の世界をこの世にもたらした。

そう思いませんか。

音を聴く「故きを温ねて」

古道具(ふるどうぐ・こどうぐ)とは言うけれど、
それを故道具とは書かない。
その考えは古い旧時代のものだ。
古代人(古い人の骨)とは言うも、故代人とは書かない。
ふるいというと古いか旧いと書くが故いと書くことはまずない。
など、その違いは多くの例がまだたくさんあるだろう。
そこで思うのだが、故には他の二字とは違い、
どこか精神性というものを宿しているように感じられる。
古と旧は経過した時間の彼方を表しているのに対し、
故は過去現在未来を内包している、といってもいい。

旧いレコード盤に刻まれた溝から出てくる響きの中に、
100年の時を超え、人間精神の輝きが音の波となり、
現代人の心に押し寄せてくる。
SP盤も蓄音機も古道具だが、そこから出てくるパーカーのサックスに、
カルーソーの歌声には、今出会っているような生命の躍動がある。
人はしばしばそのような個人的体験に欣喜雀躍する。








年末年始の営業

        年末年始の営業は下記の通りです

12月25日(月)定休日
   26日(火)
定休日
   27日(水)定休日
   28日(木)営業
   29日(金)営業
   30日(土)休業
   31日()休業
 1月 日(月)
定休日
    2日(火)
定休日
    3日(水)
定休日

    4日(木)より通常営業

 
よろしくお願いいたします。

   





ハイキング「坂田山」

今日はいつものようにウォーキングに出かけたつもりが、
思いがけず途中からハイキングになってしまった。
それも20年以上踏み入れていない道を登った。
コースは鎌田山から坂田山の尾根を縦走して天徳寺に至る。
以前登ったときは電柵などなかったが、今は山の両脇下腹部に
張り巡らされていて、尾根道に入るときは電柵のゲートを開き
進入しなければならない。
予定もせず登り詰めること一時間余り、坂田山の頂上に着く。
何しろ一人だし、誰も見かけないから休まず登り、
さっさと長い下り坂を降る。一時間ほどで天徳寺に到着。
合計タイム二時間二十分。
気がつくと左脚の太もも外側が痛い。
この部分が痛くなったのは初めての経験。
登山用のタイツを着用していかなかったからか、
底が固いローバのメリーナという靴のためか、
トレーニングと体力不足で休みなく歩いたことでか。
ちょっと心配な痛みのオマケをもらってしまった。

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音を聴く「オーディオの基本」

オーディオとは録音された音を再生すること一般をいいます。
ここではレコード盤再生についてお話します。
音楽鑑賞用の商業円盤レコード制作は約100年の歴史があります。
それに合わせ再生機である蓄音器も同時に作られました。
 音楽の録音と再生は時代の最先端技術であるとともに、
人間が持っている最高度の感性と知性の結晶といえます。
それは今も100年前も変わりありません。
100年前に録音されたSP盤の音は、
100年前の蓄音器の再生音で完結しています。
これ以上のハイファイ(高忠実度再生)はありません。
つまり「オーディオの基本」とは、
録音された時代に合致した再生機器で聴くという事にほかなりません。
古いものには古いものでということなのですが、
古い再生機器に新しい録音のレコードは窮屈(高低域不足)でも許容できます。
ですが、新しい再生機器で古いレコードを再生すると腑抜けて(中域不足)しまいます。
これをわかりやすく料理にたとえて言うと、
高音と低音はダシとスパイス、中音は素材そのものの旨みとなります。
かくして、一つのセットで100年間の録音全てをレコードであれCDであれ、
録音時の音そのままのように再生できないのが、
ハイファイオーディオの悩ましいところです。
さて、蛇足になりますが、ジャズにはJBLがいいとか、
英デッカ盤にはデッカのカートリッジが合っているとかetcは、
さらなるものを求める個々の趣味性になると思います。
とにもかくにも再生された音とどう向き合い聴くか、
それはもう全人格をかけて演奏している音楽家の演奏音の響き、
その波長 に自分の感性が合うか 否かということだと思います。



 

音を聴く「SPの衝撃」

〈Kさん宅で〉
新しいソガフォンでSPを聴く機会に同席させてもらいました。
ソガフォンを装着した蓄音機はHMV101と102。
使い分けは概ね101は機械録音用で102は電気録音向け。
プレイヤー に付いたカートリッジはクリスタル型。
これで音を拾い真空管アンプで増幅しソガフォンを鳴らす。
ソガフォンから出た音はHMVのホーンで増幅されることになるが、
電気(パワーアンプ)を通すので 、
力強く硬めで刺激的になるのはやむを得ない。
1時間余り聴いた後、LPのステレオ盤を大型スピーカーで鳴らす。
聴いた途端、音の濃さの違いに唖然とする。
SPの音が耳元からずっと奥まで詰まっていて、
LPの音は耳に届いてこない。
スピーカーがパクパクしているように見える。
かくもLPとSPではパンチ力に差がありすぎて勝負にならない。
みんなも「マイッタなあ」と呆れ顔。
今度は順序を間違えないようにしよう!と一致したのだった。

 

初冬の寒・観・感

12月になると「今年も終わりか、早い一年だったなあ」
という思いに毎年おそわれる。
なにゆえか師走は心が走る。
今朝は放射冷却で6時の気温ー2℃。
ウォーキングで登った鎌田山から
白銀の北アルプスはピンクに染まり、
草は霜を置いて白髪を装い、
初冬の風情を景していた。

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音を聴く「スカルラッティのソナタ」

音楽はほとんどレコードとCDで聴いているが、
その大半は手持ちのもので新たに買い求めたもは少ない。
それでもその全部を聴いているわけでなく、
しかもある程度は傾向が決まっている。
中にしばらく聴いていないものを引っ張り出して、
結果として処分を決めることもある。
あるいはその良さにやっと気づかされるものもある。
今日聴いたクララ・ハスキルの「スカルラッティのソナタ」は、
まさにそんな一枚だった。
こうした気付き、ささやかな発見との出会いは、
音楽を聴く喜びの一つになっている。
それは考古学者が長年保管していた骨が、
恐竜のものだと気がついた瞬間に訪れる感動に似てる、かな。
ハスキルは演奏と曲の素晴らしさを同時にもたらしてくれた。
そこで、手持ちの中から「スカルラッティのソナタ」を
アリシア・デ・ラローチャとマルセル・メイエで聴いてみた。
たおやかなラローチャ、きっちりとしたメイエ、個性が際立つ二人。
ともに好きなピアニスト。





音を聴く「心で聴く」

先日、バドで蓄音機を聴いたときのこと。
クラシック、ジャズ、歌謡曲、シャンソンなど、
それぞれ持ち寄ったSPを楽しみました。
その中に、3種類の「テネシーワルツ」がありました。
パティ・ペイジ1950年録音、ジョー・スタッフォード1951年録音、
江利チエミ1952年録音 のSPです。
聴いた感想ですが、僕はジョー・スタッフォードの洒脱なジャズフィーリング
が好きだなあと漏らしたところ、Kさんは江利チエミが好きだというので、
意外だなと思っていると、
「一生懸命さがなんともいえずとてもいい」とおっしゃる。
Kさんの音楽好きは自他ともに認めるところですが、
いつも心で感じたことを大切にして、
正直な気持ちで聴いているんだと、
微笑ましくも感心してしまった。
趣味はこうでなくっちゃね。
 

今日の出会い「白土三平」

座右の書はないが、読み終わってもしばらく
棚に置いておきたい、という本はある。
白土三平著「土の味」「風の味」はそんな本です。
この本の魅力は、素晴らしい写真とともに紹介された、
海浜山野の労働現場で採られ作られた
「生(き)の味」にあるのはもちろんですが、
それと共に氏の味わい深い文章も楽しめるところにある。
一言で言えば文明の進化と野生の退化、
人間も自然の一部という当然の真理を忘れ、
気づかずに生活していることに対する地に着いた洞察です。

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最近こうしたいい顔に出会わなくなりましたね。


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