小布施のジャズ喫茶 BUD

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『蓄音機音楽会』~SPレコードコンサート~第2回

『蓄音機音楽会』~SPレコードコンサート~第2回
 2018年4月21日(土曜日) 17時30分~16時30分
 会場 小布施町 coffee&jazzBUD
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日本の不幸

腐って悪臭を放つ気持ち悪い嘘つきが蔓延している日本の権力支配層。
権力の蚊帳の中で隠微な堕落が繰り返され、政官ともに腐りきっている。
国民はあまりの醜さに鼻をつまみ目を背けやり場のない憤りの日々を過ごす。
安倍を先頭に倫理道徳は日本人として、また人間として頽廃し破滅している。
この唾棄すべき醜い姿を見たくない多くの人は、安倍がテレビに出るとすぐ消す。
ウソツキはドロボウの始まりですよ。
日本の首相が嘘つきの税金泥棒のまま放っておくと、
やがて国民は預金はおろか命まで盗まれるのは必定。
暗愚狡猾な安倍と麻生は日本の不幸です。
彼らと取り巻き官僚は亡国の徒です。
彼らと共にあってこの国の未来はありません。
私たち日本人が作った恥ずかしく悲しい出来事です。
会社(社長と役員)は過ちを認めなければ消費者の信頼を失います。
嘘つき会社は存在を許されません。
国(政治家と官僚)は嘘を認めなければ国民の信頼を失います。
しかし、信頼を失った嘘つき国家日本を作ってしまったのは、
私たち一人一人の日本人です。
政治家はどんな醜い姿で写っていても国民の鏡ですからね。
その自覚のなさが、無責任嘘つき国家を作ってしまったのです。
私たちの中にも安倍や麻生のいやらしさがあるということです。
これは私たち日本国民一人一人が深く考え解決しなければならない問題です。
もうご主人様(アメリカ)にすがり泣きついて問題解決できると思うのは幻想です。
日本人の存亡がかかっています。


音を聴く「モーツァルト」その2

音は人なりなので、音楽に相性はあって当然です。
ですから、同じ曲でもできるだけ意に添ったものを聴きたいと思っています。
趣味は我が儘な選り好みがあってこそ個性が出て面白いのです。
人はどうのたまわろうとも「今の」自分の感性を信じましょう。
例えばアイネ・クライネ・ナハトモジー ク、ポピュラーな曲ですが、
明るく軽めの演奏より、芸術作品として腰の据わった演奏が好きです。
それに自分の感性が絶対永遠なんてことはないのですから。
感性が変わっていくことは成長なんです、決して変節なんかじゃありません。
大げさに言えば、感性や品性といった人格的能力は一生勉強することで、
少しずつマシになっていくと考えたいですね。

さて、今日は弦楽四重奏です。
モーツァルトは弦楽四重奏を23曲作りましたが、
14番から19番 の6曲はハイドンに献呈され、
ハイドンセットとしてよく知られています。
敬愛と親愛の友情で結ばれていたハイドンへ、
モーツァルトは出版譜の序文に書きました。以下主旨。
「親愛な友ハイドンへ
ここに六人の子がいます。これらは長い間の苦労の所産ですが、
この苦労がいつか報われるであろうという希望を持つことが、
私の慰めの泉となろうかと思っています。どうぞ快くこれらをお受け取りになり、
父とも指導者とも友人ともなってやってください。
只今をもって、私が彼らの上に持っていた権利のすべてをお譲りします。
1785月9月1日 ウィーンにて」 29歳、死の6年前。

モーツァルトはふだん、噴出する泉が小川となるように曲を書いていましたが、
この弦楽四重奏の作曲には苦労したようで、自筆譜には考えられないほどの、
修正の跡が見て取れます 。
ともあれ、この六曲は全て素晴らしく、深い味わいがあります。
それは、秋の夕日に照らされた紅葉の山が複雑な織り地を見せるように、
モーツァルトの音楽は秋の微光に渋く光り響いています。
「秋の日射しといっても、ことばを聞いてわかるというが、それで内容まで
ちゃんとわかるということはない。それは自分が本当に秋の日射しの深さが
わかるようにならなければ、ことばで言ってもわかりはしない。
してみるとほんとうにわかるのは簡単なことではない。」
この岡潔さんの言葉にあるように、モーツァルトが放つ秋の日射し、
その深さは簡単にわかるというものではないように思います。

六人の子を差別できませんが、 代表して一人に出てもらいましょう。
19番ハ長調K.465「不協和音」
天才としての強烈な自負と自惚れが生んだ封建貴族社会との軋轢。
生身のモーツァルトが受けたであろう悲哀は、
音楽によって澄みきったものへと昇華します。

神韻縹渺としたカペーの演奏は、モーツァルトの霊が、
一緒に聴いているような雰囲気があります。
かたや、ジュリアード はバランスよく調和がとれていて、
柔軟な響きに落ち着いた安定感のある演奏を聴かせてくれます。

モーツァルト没後に活躍したイタリア人作曲家の二人 が
モーツァルトについて語った言葉です。
ヴェルディ:モーツァルトは弦楽四重奏の作曲家。
ロッシーニ:モーツァルトは唯一無二の作曲家。

モーツァルト
(1756年1月27日 - 1791年12月5日)
ヴェルディ(
1813年10月10日 - 1901年1月27日)
ロッシーニ 1792年2月29日 - 1868年11月13日)

音を聴く「モーツァルト」その1

人生は出会いと言いますが、晩年に近づき、
モーツァルトに出会えたというのは僥倖というほかありません。
一言で言えば、それは心浄い青春です。
モーツァルトの音楽を聴けば感じると思いますが、
その底に流れているのは、過去から語りかけてくる軽やかな透明感です。
自然に身を任して解放され、ストレスのない世界にいるようです。
そういう世界を音で紡ぎ表現したモーツァルトの音楽は、
感情によって振り回されない美の世界へ誘ってくれます。
そんなモーツァルトを感じる演奏との出会いは楽しいもとなっています。

今日聴いたのは、モーツァルト29歳(1785年)の作品
K.466ピアノ協奏曲20番ニ短調
ピアノ スヴァトスラフ・リヒテル
オーケストラ 
ワルシャワ国立フィルハーモニー
指揮 スタニスラフ ヴィスロツキ
大変落ち着いたピアノの響きが印象的です。

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音を聴く「ブルースを聴く」チャーリー・パットン

チャーリー・パットンのしわがれた歌声に、人はグイッと引きつけられる。
酔った呂律はなんとも酒臭いが、のど奥からの響きは太く力強い。
叫ぶような歌い方は荒々しく泥クサイが、
プリミティヴさゆえに聴くものの心を鷲掴みにする。

ブルースはアメリカに連れ去られて来た黒人音楽の源流。
このことをマイルス・デヴィスは端的に語っている。
(ジャズはブルースの伝統の上にあるから)
オレはいつもブルースを演奏している、と。
これは、ブルースとは何よりも心の状態なんだよ、
そうマイルスは言いたかったんですね。


『蓄音機音楽会』~SPレコードコンサート~第1回

『蓄音機音楽会』
~SPレコードコンサート~
第1回
ジャズ『ブルーノート』
記念すべき最初のブルーノート盤は1939年(昭和14年)1月6日
ミード・ルクス・ルイスのソロピアノ8曲、アルバート・アモンズのピアノソロ9曲
2人のデュエット2曲の計19曲のレコーディングから始まりました。
第1回発売は19曲の中から4曲、片面5分の12インチSP盤BN-1とBN-2だった。

演奏レコード
BN-1 ミード・ルクス・ルイス 1-A 『メランコリー』/1-B『ソリチュード』
BN-2  アルバート・アモンズ 2-A『ブグウギ・ストンプ』/ 2-B『ブギウギ・ブルース』
その他

bluenoteSPコントラスト補正





使用する蓄音機
米国ヴィクター社ヴィクトローラVV-8-9  1928年製
英国グラムフォン社HMV157 1928年頃製

◎入場無料 定員20名 要ご予約

日時 2018年2月18日(日) 午後5時30分~6時30分
場所 小布施 coffee&jazz BUD(バド)026-251-4033

主催 『le son』SPの会

  
 

音を聴く「最高の音」

好きな音楽を最高の音で聴きたい。
現在持っているレコードやCDを
もっといい音で楽しみたい。
そう思ってまず考えるのは、
オーディオ装置機器のグレードアップだと思う。
さて、そこで問題になるのが予算ですね。
その前にどうグレードアップするのか、
どういう音にしたいのかイメージを持つことが大事。
イメージが決まったら、経験豊かで欲のない人に相談すること。
その上で予算は決まってくるはずです。
大事なのは欲張らないこと。 
アップして、良くなったなあと思ったらよし。
気持ちよく楽しめてこそ音楽。
いつまでも音に引っかかっていてはいけませんよ。
これが今聞ける最高の音なんです。
ここからは余談ですが、
掛けているレコードの音が今ひとつと思ったら、
もしそのレコードが復刻盤だったら、
一度オリジナル盤を聴いてみてはどうでしょう。
ひょっとすると、最高の音は最高の音質のレコードから
始まると、気がつくかもしれませんよ。

音は電気信号が波動になりスピーカーから聞こえてきますが、
その源流にあるのはレコードです。
レコード盤をダムに喩えれば、ダムに貯まった水は音楽。
ダムの水質はレコード盤の音質、その品質の良否は、
スピーカーから出てくる音の良否に影響します。
音楽と音にとってレコード盤という元がいかに大切か、
それはときに機器以上です。



 

音を聴く「音楽の力」とは

音楽は多少の思い出を残しながら消えていく。
強い感動さえ時がたてば薄れていく。
僕、あるいは人は音楽になにを求めているのだろうか。

たまたま今読んでいる本にこんな文章がありました。
岡田暁生著「クラシック音楽とは何か」
『日常への定住を拒む力-これこそ音楽が私たちに与える希望の力の源泉だと思う。
旅は今も昔も危うい。何が起きるかわからない。危険に満ちている。 
もし怖い目に遭うのが嫌であるなら、旅になど出ず、家の中でじっとしていればいい。
しかし家にこもってばかりいて、外の世界が消滅した日常の中で惰眠をむさぼっている者に、
「希望」はないであろう。自分が住む世界の「外」を見てみたいと思うことこそ「夢」であり、
あちらにあるのがここよりもよい世界であるかもしれないと考えることが「希望」であるとするなら、
翻ってこちらの世界を少しでもよいものにしようとすることは日々の生の活力にもつながるであろう。
音楽に-昨今流行の言い方をすれば-「癒やす」力があるとすれば、それはこのような意味においてである。家にいながらにして、まるで安楽椅子に寝そべり、受け身でマッサージを受けるようにして音楽に耳を傾ける者に、決して音楽が本来持っている「癒やす力」は与えられないと私は確信している。』

力強い言葉です。
ですが僕は「寝そべりながら派」なので、 
力を抜いて次へと読み進みました。
もちろん外の空気を吸いにいく旅は好きです。
それもできるだけ安全で景色が良く美味しいものがあるところへです。

じゃああんたはナンデ音楽聴いているのと聞かれれば、
受け身で時間から逃避している、というほかありません。 
無為の時間から心を守る隠れ家の役割を担っているとも言えます。
人は本能的に無為を避けたがりますからね。
だから無為を避ける行為に人は走る。
パチンコ、テレビ、そして音楽もまた。
これらはみな時間を忘れさせる伴走者なのだと思う。

となれば音楽とは、日常を安定させるものだと思うのです。
 

音を聴く「tone sense」

普段Mさんとお呼びしているその人は、
オーディオでいざ困ったときお世話になる、
掛かり付けの医者のようなオーディオドクターです。
ドクターの役割は正確な診断と処置 による回復作業。 
信頼されるには技術や経験はもちろんですが、大事なのは見識です。
Mさんを信頼する理由はそこにあります。

さて、音楽をどんな聴き方で聴いているかというと、
それはそれ人様々ですが、僕が聴いているのは演奏家の音。
僕にとって音楽を聴くという行為は、音楽の全てに
演奏家が出しているtone senseを『聴く』ことです。
いい演奏はtone senseの共有にあります。
レコードとオーディオのサウンドクオリティは、
tone sensenをより良く反映していることが基本で、
それ以上のサウンドクオリティを『聞き』たい気持ちはあまりありません。

いつだったか演奏家のtone sense 、その波長を感知するセンスについて、
Mさんと同じ思いでやりとりしたことを憶えています。



音を聴く「耳利き」

この器なかなか良いね。
あなたって目利きね。

この演奏とても良いね。
あなたって耳利きね。
ん、いや左利きだよ。 

目利きというのは審美眼 (美を識別する能力)を持っている人。
その能力をさらに高め確かな審美眼を身につけるために、
「本物をたくさん見なさい」とはよく言われること。
 
そもそも「美とは」何かと問われれば、
お金や優劣とは無縁のところにある「豊かさ」だと思う。 
人はそれぞれ独自の鋭い感覚を誰も持っているものだ。
それは音楽だったり料理や美術に対してだったりする。
感覚という収集器で日々集められたら情報の集積という経験を通し、
審美眼は信じられる能力になっていく。
このようにして美を内に感じられるようになることが、
人の内面を豊かにするのじゃないだろうか。 

いい音楽をたくさん聴いて「キキモノ」になりましょう。
 
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