小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

台風18号一過

夜中にゴーと我が家を揺らした強風。
短時間だったが風の恐ろしさを感じた。
一夜明ければ青空から差す陽の強さは痛いほど。
一気に夏日が戻ってきてしまった。
落ちた柿を拾いゴミ箱へ、おっとクモの巣に頭がかかり・・くそっ。
風にも耐えた巣は我が手に落とされ、クモは慌てふためき逃げ去る。
その姿様子ったら、人間も風呂場で急を襲われたら・・と思うと可笑しかった。
小布施への道に連なるリンゴ畑、風の影響はどうだったか被害はなかったかと
通ってきたが、落果はそれほどでもないように見えた。
小山社長の話では、小布施は山際の風の通り道で被害が出たという。
山際は地形が複雑だから狭い地域で風は七変化する。
台風は毎年各地に被害が出る、しかしここ信州は山が風を防ぎ被害は少ない。
何年かぶりの台風による強風が通り道となった場所はなんとも不運だった。
秋の収穫はこれからが本番。
今後の無事を祈りたい。



高橋竹山三味線ライブ

高橋竹山三味線ライブ
2017/9/16(土)
会場 小布施バド 穀平味噌駐車場の奥 駐車場有り
   026-251-4033  予約受付は木・金・土・日12時~17時
開場 18.30  /開演 19.00
料金 4,000円 定員40名 自由席

2017竹山表面



中村早智with坂根格カルテット

BUD JAZZ LIVE  
2017/7/30  
14:00~16:00


中村早智[1] 500


 

藤井貴宏オーボエコンサート

藤井貴宏オーボエコンサート

page001
           
                                               

音を聴く~ハイドンの「ひばり」~

ハイドンと云えば弦楽四重奏曲「ひばり」がポピュラーですね。
僕はハイドンの細やかな心の内を写し取ったような第二楽章の
例えようもない響きがとても好きです。
この曲をカペーはどこまでも掘り下げ、深遠な響きで演奏しています。
こういう演奏は 未知との遭遇のようで、どこからやってきたのかはかりようもなく、
生命の泉に触れたかのごとき驚きと感動に満たされます。
カペーのハイドンをもっと聴きたいのですがほかになく残念です。
僕にとって「ひばり」はハイドンの偉大さ、カペーの素晴らしさに
出会った曲でした。

 

安倍が蒔いた種

国民の心に、安倍が蒔き続けた種が、
東京で見事な花を咲かせた。
この功績は実に偉大だ。
萎れて散った安倍は、
戦後に咲いた大日本帝国の徒花。
 有権者は育てた愚かさに気付き、
賢くも切り捨てた。 
それは、日本の政治における最終的な責任と権力は、
国の主権者たる有権者の判断にある、
ということを知らしめた。 
 

音を聴く「ノイマンのモノラルカートリッジ」

Mさんのところでノイマンのモノラルカートリッジを聴いてきた。
カートリッジの話から入ってしまったが、今日の主役は
WE社の4151と555を組み込んだモノラル用スピーカー。
ウーファーをJensen から取り替えどう変わったのか聞きにいったのだが・・。
オルトフォンの角付きで聴いている最中も、
Mさんはノイマンのセッティングに余念がない。
果たしては今日は聴けるのか、気を揉みながら作業を見守る内に
調整が終わり、いよいよ音が出ることに。
音が出た瞬間、音の景色がガラッと変わって聞こえてきた。
ノイマンはスピーカーの音を一変 させてしまったのだ。
 エエッ、オオッ、驚きと感動が同時に押し寄せてきた。
レコードに入っている音がどんなに素晴らしいものなのか。
なにをもってレコード芸術と称するのか。
抜けるような音場に、美が宿る細部が見事なまでに再生される。
聴くものの心と音楽を親密に 近づける魔力を秘めた響き。

確かにレコードは芸術を再現しているではないか。
 ハイファイの語はあふれているが、
なにをもってhigh fidelityと称しているのか。
その真の意味、答えを見つけたような気がした。
ノイマンがトレースした再生音は、
山高く渓深い奥行きのある山容ともいうべき
サウンドのクッキリした全体像。
もちろん、これは録音など高度なレコード制作技術があってのこと。
当然の事ながらどんな再生機器も、
レコードに入っている音質以上の音は出てこない。
ここでhigh fidelityオーディオの原点はレコードだと、
出発点に回帰したことを再確認する。

こんな音があったのだ。 
ノイマン、おそるべし。

針はLPとSPがターンオーバーで使えるようになっています。
オリジナルは専用アームのウエイト部にトランス内蔵。 
しかし、資料がなく詳細な仕様は不明とのことです。

それにしてもです。
測定具など不要と耳だけを頼りに、
部品選びは経験知で勘所を押さえ、
ここまで音 作りしてきたMさん。
今回はかってない、パーッと開けた音の風景を
手に入れたのではないでしょうか。 

文を読む「六字」

「六字」とは「南無阿弥陀仏」
柳 宗悦著「南無阿弥陀仏」

日常、宗教に無縁な生活を送っている自分にとって、
最も身近かな宗教的言葉は「南無阿弥陀仏」
その実中味は知らずに過ごしてきた。
それこそ宗教とは無縁の人生。
それで何の不都合もなく生活できている。
世に宗教の本はあふれているけれど、
何の為なのか必要を認めず通り過ぎてきた。 
教養のための宗教的知識にも興味はなかった。
それが何故に「南無阿弥陀仏」を読むに至ったか、
自分でもよくわからない。
柳の文章はわかりやすく読みやすい。
かと言って文は宗教的体験のない自分の外側にある、
知識以上のものでないのも事実。
ただ、仏性というものは生きとしいけるもの全てに存し、
生まれ出ずる由縁とも、死して帰るところ でもある。
と、いうことが会得されるような気持ちになった。
それは自分の体を作っている60兆ともいわれる細胞中の
遺伝子の 中に、仏が備わっているというイメージにつながる 。
読み進んでここまでは知識の延長だったが、
18章仮名法語に至って、『一遍上人語録』に載せてある消息文の一つ。
その言葉に教文として初めて心引かれるものを覚えた。
以下に引くこの言葉は自分の内側のものとして共に歩めそうだと。
 空んじて 口遊みたい。

「夫れ、念仏の行者用心のこと、示すべき由承り候。
南無阿弥陀仏と申す外さらに用心もなく、この外にまた示すべき安心もなし。
諸々の智者達の様々に立てをかるる法要どもの侍るも、皆諸惑に対したる仮初めの要文なり。
されば念仏の行者は、かような事をも打ち捨てて念仏すべし。
むかし、空也上人へ、ある人、念仏はいかが申すべきやと問いければ、
「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、
西行法師の『選集抄』に載せられたり。これ誠に金言なり。
念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、
地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願う心をも捨て、また諸宗の悟りをも捨て、
一切の事を捨てて申す念仏こそ、弥陀超世の本願には、かなひ候へ。
かように打ち上げ打ち上げ、唱ふれば、仏もなく我もなく、ましてこの内に兎角の道理もなし。
 善悪の境界皆浄土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。
よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、
念仏ならずといふことなし。人ばかり超世の願に預かるにあらず。
またかくの如く愚老が申す事も意得にくく候はば、意得にくきにまかせて、
愚老が申す事をも打ち捨て、何ともかともあてがひはからずして、本願に任せて念仏し給うべし。
念仏は安心して申すも、安心せず申すも、他力超世の本願にたがふ事なし。
 弥陀の本願には欠けたる事もなく、余れる事もなし。この外にさのみ何事をか用心して申すべき。
ただ愚なる者の心に立ち返りて念仏し給うべし。南無阿弥陀仏。  一遍」。



 

音を聴く~心に残る音と演奏~

~この人の音で曲は音楽になる~ 

Bella  Davidovich は1928年7月16日生まれのアゼルバイジャン出身ユダヤ系ピヤニスト
1949年第4回ショパン国際コンクール優勝者 モスクワ音楽院首席卒業
1950年ヴァイオリニストの ユリアン・シトコヴェッキーと結婚
1956年シトコヴェッキー死去
 夫妻はロシア当局との折り合いが悪かったようでロシアでの活動の
詳細はわからないが、二人の実力に見合った録音は 多くない。
共演した録音は手元にある限りわずか2曲。
モーツァルトとタルティーニの ヴァイオリンとピアノのソナタのみ。
1978年米国 に亡命し1982年からジュリアード音楽院で教え現在に至る。

音声と節回し(音程とリズム)から音楽は生まれ、
精妙な音は人の心深くに届く。
演奏される一音一音は感情(喜怒哀楽 )や
美意識(人格、精神)を表現する。
いってみれば音は演奏する人そのもの。
音は言葉のように嘘をつかない。
だから人は音楽を心から楽しむ。音そのものにとり憑かれる。
当たり前ですが曲というのは譜面にある通り機械的に演奏しては、
作曲者の内面までは表現できませんね。
曲にあった音色と響きを吹き込んで初めて血が通い魂が宿る。
言ってみれば音は譜面を行き交う精霊にならないと音楽にならないのです。
 
ダヴィドヴィッチを初めて聴いたのは1982年彼女が54歳の時に録音したショパン。
バラード4曲、即興曲4曲と 24の前奏曲が入った2枚組のCD。
滑らかな親しみある演奏で大変聴きやすい。
 角の取れた柔らかさは年齢もあるが彼女の特質と天賦の才による所が大きい。
そんな力を抜いた穏やかな演奏をするダヴィドヴィッチだが、
60年頃はもっと溌剌とした演奏をしていたようだ。
これを書く切っ掛けになったのは、1960年32歳に録音した
サン・サーンスのピアノ協奏曲2番ト短調を聴いたからだった。
初めて聴く曲だったが曲想と彼女のピアノがマッチしていて、
気負いのない演奏が気持ちよく耳に届き心に響いた。
技術的な切れ味と溌剌とした躍動感は若いから当然といえばそれまでだが、
それ以上に彼女の内面が放つ美質な音が聞こえてくる。
一言でいえば懐が深い、控え目だけど輝いている、地味だけど艶やかな音。
清々しい音は惚れ惚れと身にしみてじっと聴き入る。 
聞き飽きることのない音色で演奏する60年頃の録音をもっともっと、
CDではなくレコードで聴いてみたくなった。
 

年末年始の営業

2016年年末~2017年年始の営業予定

12月26日(月)から1月4日(水)まで
休業いたします。

今年一年のご愛顧ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 
記事検索