小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の穀蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

音を聴く『今年も』いい音楽を

ジャズ喫茶をやっているからといって、
ジャズばかり聴いているわけではありません。
いいなあと感じ、面白いなあと思うものは何でもござれです。
僕はコルトレーン世代、その時分は分かろうが分かるまいが、
したがって分からないまま、しゃにむにひたすら
ジャズなるものに向かい合っていました。
1965年から1975年頃までのことです。
分からないながらも50年以上聴き続けてきたのは自分でも不思議です。
どこか心にある空白を他ではないジャズで埋めていたのかもしれません。
しかし、年を取り最近は若い頃聴かなかったものを聴くようになりました。

それはまず老若問わず未知なる分野への好奇心から始まるものです。
若い頃は今様に夢中になるのが成り行きというものですが、
年を取ると今様は自然と離れこちらに近づいてきません。
そこに年取った好奇心の空白は年代を遡り、
歴史と伝統を猟歩し始めるのです。
さあ、1940年代から30年、さらの20年代へ。
心浮き立ついい音楽を聴きに行きましょう。



今年もよろしくお願いいたします

旧年中は大変ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年はSPレコードによる『蓄音機音楽会』を企画します。
どうぞご期待ください。 

今年の字『北』

今年の字は『北』か。
それってアカラサマでオモシロくもナントもない。
想像力がフリーズしている。
ユーモアの ユの字もカンジられない。
『北』って北朝鮮のことでしょ。
そのどこが今年の字になってしまうのか?
安部政権がやたらに鳴らすアラートを字にしているだけじゃないの。
いやいや深読みしてみると、
国民に
『背』を向けて人権(個人)軽視憲法を目論んでいる安倍のことかも。
そうだとしても『北』はどうにも寒々しい。
それならいっそのこと『来』っていうのはいかがでしょう。
ミサイルが『来』
国家破産が『来』
いずれにしても不安が付きまとう心理現象に変わりはありませんね。
それを払拭できないどころか煽っている無為無策無責任社会日本。
こういう時こそ、あるべき姿を映す 『字』を選んでもらいたかったね。
しかし、それで国民が同じ方だけしか見ないことになるのもなんだなあ。
やっぱり頼るのは自分自身てことか。
それには勉強して判断力を付けるしかないけど、
それが一番健全かもね。


 

年末年始の営業

        年末年始の営業は下記の通りです

12月25日(月)定休日
   26日(火)
定休日
   27日(水)定休日
   28日(木)営業
   29日(金)営業
   30日(土)休業
   31日()休業
 1月 日(月)
定休日
    2日(火)
定休日
    3日(水)
定休日

    4日(木)より通常営業

 
よろしくお願いいたします。

   





音を聴く「モーツァルト」は・・

星が瞬くように、雪が舞うように、
風がそよぐように、せせらぎのように、
森羅万象 が囁くように、
心の風景が雲となって流れるように、
音の糸が紡がれていくように音楽は現れてくる。
そしてサラサラと譜面になっていく。
モーツァルトは人間の苦悩を清らかにするフィルター
として、この世に使わせられたのでは・・。
すべてを引き受けた意識もなく、
苦悩も苦労も努力の 痕跡などどこにも見あたらない。
人間的天才が作るものを超えて、
ただ全き音の世界(福音譜)をこの世にもたらした。


音を聴く「故きを温ねて」

古道具(ふるどうぐ・こどうぐ)とは言うけれど、
それを故道具とは書かない。
その考えは古い旧時代のものだ。
古代人(古い人の骨)とは言うも、故代人とは書かない。
ふるいというと古いか旧いと書くが故いと書くことはまずない。
など、その違いは多くの例がまだたくさんある。
そこで思うのだが、故には他の二字とは違い、
どこか精神性というものを宿しているように感じられる。
古と旧は経過した時間の彼方を表しているのに対し、
故は過去現在未来を内包している、といってもいい。

旧いレコード盤に刻まれた溝から出てくる響きの中に、
100年の時を超え、人間精神の輝きが音の波となり、
現代人の心に押し寄せてくる。
SP盤も蓄音機も古道具だが、そこから出てくるパーカーのサックスに、
カルーソーの歌声には、今出会っているような生命の躍動がある。
人はしばしばそのような個人的体験に欣喜雀躍する。








ハイキング「坂田山」

今日はいつものようにウォーキングに出かけたつもりが、
思いがけず途中からハイキングになってしまった。
それも20年以上踏み入れていない道を登った。
コースは鎌田山から坂田山の尾根を縦走して天徳寺に至る。
以前登ったときは電柵などなかったが、今は山の両脇下腹部に
張り巡らされていて、尾根道に入るときは電柵のゲートを開き
進入しなければならない。
予定もせず登り詰めること一時間余り、坂田山の頂上に着く。
何しろ一人だし、誰も見かけないから休まず登り、
さっさと長い下り坂を降る。一時間ほどで天徳寺に到着。
合計タイム二時間二十分。
気がつくと左脚の太もも外側が痛い。
この部分が痛くなったのは初めての経験。
登山用のタイツを着用していかなかったからか、
底が固いローバのメリーナという靴のためか、
トレーニングと体力不足で休みなく歩いたことでか。
ちょっと心配な痛みのオマケをもらってしまった。

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音を聴く「オーディオの基本」

オーディオとは録音された音を再生すること一般をいいます。
ここではレコード盤再生についてお話します。
音楽鑑賞用の商業円盤レコード制作は約100年の歴史があります。
それに合わせ再生機である蓄音器も同時に作られました。
 音楽の録音と再生は時代の最先端技術であるとともに、
人間が持っている最高度の感性と知性の結晶といえます。
それは今も100年前も変わりありません。
100年前に録音されたSP盤の音は、
100年前の蓄音器の再生音で完結しています。
これ以上のハイファイ(高忠実度再生)はありません。
つまり「オーディオの基本」とは、
録音された時代に合致した再生機器で聴くという事にほかなりません。
古いものには古いものでということなのですが、
古い再生機器に新しい録音のレコードは窮屈(高低域不足)でも許容できます。
ですが、新しい再生機器で古いレコードを再生すると腑抜けて(中域不足)しまいます。
これをわかりやすく料理にたとえて言うと、
高音と低音はダシとスパイス、中音は素材そのものの旨みとなります。
かくして、一つのセットで100年間の録音全てをレコードであれCDであれ、
録音時の音そのままのように再生できないのが、
ハイファイオーディオの悩ましいところです。
さて、蛇足になりますが、ジャズにはJBLがいいとか、
英デッカ盤にはデッカのカートリッジが合っているとかetcは、
さらなるものを求める個々の趣味性になると思います。
とにもかくにも再生された音とどう向き合い聴くか、
それはもう全人格をかけて演奏している音楽家の演奏音の響き、
その波長 に自分の感性が合うか 否かということだと思います。



 

音を聴く「SPの衝撃」

〈Kさん宅で〉
新しいソガフォンでSPを聴く機会に同席させてもらいました。
ソガフォンを装着した蓄音機はHMV101と102。
使い分けは概ね101は機械録音用で102は電気録音向け。
プレイヤー に付いたカートリッジはクリスタル型。
これで音を拾い真空管アンプで増幅しソガフォンを鳴らす。
ソガフォンから出た音はHMVのホーンで増幅されることになるが、
電気(パワーアンプ)を通すので 、
力強く硬めで刺激的になるのはやむを得ない。
1時間余り聴いた後、LPのステレオ盤を大型スピーカーで鳴らす。
聴いた途端、音の濃さの違いに唖然とする。
SPの音が耳元からずっと奥まで詰まっていて、
LPの音は耳に届いてこない。
スピーカーがパクパクしているように見える。
かくもLPとSPではパンチ力に差がありすぎて勝負にならない。
みんなも「マイッタなあ」と呆れ顔。
今度は順序を間違えないようにしよう!と一致したのだった。

 

初冬の寒・観・感

12月になると「今年も終わりか、早い一年だったなあ」
という思いに毎年おそわれる。
なにゆえか師走は心が走る。
今朝は放射冷却で6時の気温ー2℃。
ウォーキングで登った鎌田山から
白銀の北アルプスはピンクに染まり、
草は霜を置いて白髪を装い、
初冬の風情を景していた。

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