小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

2011年10月

こんな音で再生している・・・

今日はお客様に大変うれしいことを言われました。
時々、いやたまに誉めてもらうことがありますが、
なにか自慢たらしくなるので控えていました。
でもなぜでしょうかね、
今日は素直に白状してもいい様な気持ちになりました。
こんなことを言われたんですよ。
じっと耳を澄ますように聴いていた帰り際です。
「素晴らしいですね」
「これだけの音で再生しているところは日本にはないと思います」
まあどうしましょう。

~津波から半年の三陸を訪ねて~4

~津波から半年の三陸を訪ねて~釜石から大船渡・陸前高田・気仙沼まで。
19日(水)はれ
午前4時テント場の気温2度C。カップ麺とモチで朝食。今日は長野までの長距離、5時出発。
釜石市内、海岸端商店街の店舗は内部が津波にさらわれ、鉄骨と壁がかろうじて残った状態で軒並み無人化。人も車も少ない通りは未だ信号が復旧していない。津波で流され散らばったがれきは片づいているが、建ったままがれきと化している多くの建物は、いつ片付き再建されるのだろうか。
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岸壁の堤防に突き刺さった全長約100メートルの大型貨物船「アジアシンフォニー」4724トン。翌日20日に撤去された。
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道の駅「さんりく」で一休み。まだ先は長い。
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大船渡駅前 津波は手前から奥へ向かった。
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陸前高田 高田松原海岸に面したアパートは4階まで津波が届いている。
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気仙沼市
側溝に溜まった土砂をスコップですくい袋詰めしている地元ボランティアの方々。
コーヒーとチョコレートにリンゴ・かりんとうの差し入れをする。地道な活動で本当に頭が下がりました。皆さん職を失い、失業手当を受けながらガンバッテいるとのことでした。
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気仙沼漁港から500m運ばれてきた大型漁船。この地を公園にして復興のシンボルになる予定。
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ガレキが片付いた後、余計無惨さが眼につく。地盤沈下で水が引かない。
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~津波から半年の三陸を訪ねて~3

~津波から半年の三陸を訪ねて~田老から山田町・大槌町まで

18日(火)はれ
避難所だったグリーンピア田老(現名は三陸みやこ)夕食の用意が出来ず秋の観光客は皆無だという。現在は朝食付きのビジネスホテルとして営業中。
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広いグリーンピアの敷地内に建てられた仮設住宅の一区。
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真崎の小港漁港
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田老和野地区で、ロープにコンブとワカメの養殖用仕掛けを取り付ける漁師のみなさん。
集会所でお湯を沸かし、淹れたコーヒーを皆さんに飲んでもらいながら、お話を聞く。
この辺りは昭和40年頃(50年前)まで葉煙草栽培が中心で、閑期は大間や気仙沼のマグロ船などで働いたそうですが、コンブ栽培をするようになり、1年を通してこの仕事が出来るようになったという。自然や仲間と共に生きる彼らの表情は明るくおだやかだった。
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山田町から大槌町へ。海岸沿いの津波を受けたところは、どこも建物が全て損壊。あるものは曲がった鉄骨と崩れた壁、あるものは土台のコンクリートだけの変わり果てた姿に。ひしゃげた車は岸壁に、海岸からかなり離れた川の土手にも、まだ多くが放置されたままになっている。豊かな恵みをもたらしてくれる大きな海と山。山は海に迫り空いた平地はあまりにも狭く、限られた地形に集積する人間の営み。堤防をより高く10mを15mにすれば安全で安心できるのか、自然の恵みと共存する難しさを、被災した現場で思わずにはいられなかった。

宮古から山田への途中で川釣りをする人。
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山田湾の水はこんなにもきれい。
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山田町北浜地区。大杉神社の鳥居が見える。
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一見、津波が来たとは思えない山田湾の風景。
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山田道の駅で。松茸の薫りぷんぷん。去年は豊作、今年は不作だそうです。
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大槌町は津波後プロパンガスのボンベが各所で爆発し火災が発生。
炎は崖伝いに松の木を焦がしながら隣接する室浜に達する勢いだったという。DSCN1576

海側から杖を頼りに歩いてくる女性に出会った。毎日、高台の仮設住宅から流された自宅を見に来ると言って、その場所を指し示した。二人で土台の連なる遠方を見つめると、共に無言のまま目頭が熱くなってしまった。
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~津波から半年の三陸を訪ねて~2

~津波から半年の三陸を訪ねて~盛岡から宮古・田老・小本まで 
17日(月)くもり
盛岡から宮古までは閉伊川に沿い国道106号と山田線が併走していて、盛岡寄りは紅葉が見頃だった。
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宮古は三陸の沿岸部中、比較的津波の被害が少なく駅前街中の商店はほとんど営業していた。
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高さ10mの堤防を超えてきた津波に呑み込まれた田老の中心部。瓦礫はすっかり片付いている。
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二重堤防は海側(右)が破壊された。
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恐怖心が薄らいできたのだろうか、堤防を散歩する人の姿が印象的だった。
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最近になって海を見つめる人の姿が戻ってきたという、夕暮れ近い小本の突堤。
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どっこい生きている!大きくなれ!小本の浜で。
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~津波から半年の三陸を訪ねて~1

17日(月)から19日(水)まで3日間をかけ東北三陸の津波被害を見てきました。

17日(月)は長野から高崎経由で盛岡まで高速、盛岡から紅葉の閉伊川に沿って宮古へ。
この間約750km、走りながらなんて遠いことか、長野から東北は遠北だなあと強く実感。
宮古からは田老そして小本へ。宮古へ戻り夕食後、グリーンピア田老に宿泊。

18日(火)は真崎灯台から宮古を経て山田町・大槌町まで南下。鵜住居川沿いの空き地にテント泊。

19日(水)は釜石市から大船渡市・陸前高田市・気仙沼市を周り、石巻市まで南下し夕暮れ。6時過ぎ高速に入り一路長野へ。

20日(木)午前2時帰着。走行距離約1600km。もう一日ほしかった!

【三陸】陸奥(青森)陸中(岩手)陸前(宮城)

東北三陸へ

3.11大地震以後初めて東北三陸に、17日(月)から二泊三日テント持参で行ってきます。今も地元には大津波の強い衝撃と深い爪跡が癒えることなく、人の心と山河に残っていることでしょう。もっと早き行きたかったというのが正直な気持ちなのですが、とにかくこの目で見て、何かを感じて復ってきたいと思っています。行く目的は慰問とか、何かお役に立つことをしようということではありません。ただ出来たら、淹れたてのコーヒーを飲んでもらい、語られる話しに耳をかたむけたい、そう思って出かけてきます。
今回、偶々起こったのが東北三陸、というに過ぎないのであって、日本列島のどこに住んでいようと、突然の地震災害から逃れられないのが日本の宿命です。いつ来るかわかりませんが、間違いなく明日は我が身なのです。

では、アルバイトのN・N君と二人三脚で行って来ま~す。

ロシアのバイク『URAL』

夕方小雨がパラパラし始めた中、見慣れないバイクがやって来ました。サイドカー付のバイク、それも非常に珍しい機関銃が付けられるロシア製の軍用バイクです。その名を『URAL』といいます。
エンジンは二気筒水平対向750CC。サイドカーのタイヤが駆動できるので四輪車扱いのバイク。
なんでもハーレーはゆったり楽しみながら乗り、BMWはスピードを出しながら乗るバイクだけれど、『URAL』は修理しながら乗るバイクだといって、持ち主は笑っていましたが「持つには勇気が要る」とのこと。それもそのはず、走る振動でロシアのネジはゆるみ易いので、乗る前にネジを締め(気も引き締め)てから出かけるそうです。とても常人には持てそうにない車のようです。

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小布施BUDのマロンケーキ

桜井甘精堂の桜井佐七さんが連れの方とお茶を飲みに来られた。注文はコーヒーと紅茶にマロンケーキ。帰り際「おたくのケーキ、いいでき味しているね。どこで作っているの」と聞かれたので、「ハイ、毎朝自宅で家内が作っています」とお答えした。BUDのマロンケーキはよい材料とてまひま惜しまない手作り、数は少ないし(一日20個)持ち帰りも出来ない。だからお美味しいとはいわないけれど、10月いっぱいは一生懸命作るつもりでいます。

そうだ今日はもう一つデキゴトがありました。ABNの取材です。
朝の準備中に予告なしで、きれいなお姉さんが「平沢と申します、突然ですがいいでしょうか」
それから約一時間、『駅前テレビ』の取材は無事終わりました。
放映は22日だそうです。

チャーリー・パーカーのすごさ・素晴らしさ

閉店後ホッと一息、久しぶりにパーカーを聴いていると、「いい音していますねえ」と言って入ってきたのは、小布施【和楽の会】のいくか師匠じゃございませんか。「まあどうぞ」と椅子を勧めて聴き入ることしばし。レコードが終わると師匠はにっこり笑顔で、また「いいですねえ」とすっかりパーカーが気に入った様子。
あらためてと言うべきなのか、それとも今さらと言うべきなのか・・・、パーカーの魅力はどんな言葉もその素晴らしさを表すことが出来ない。人間から出たものは、どのようなものであれ人工的であることは免れないのだが・・・・パーカーのサウンドは自然なのだ、どこまでも自然なのだ。人間の思惑などどこ吹く『緑の風』のように。超人的というのでもない。神がかりとというようなものでもない。されどパーカーはやはり神(自然)の使い手なのだろう。と、言うしかないのである。いつもながらそこに落ち着く。
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第2回レコード鑑賞会

第2回レコード鑑賞会 ~演奏と録音が良いレコードを大きな音で聴こう~

◇日時:2011年10月23日・日曜日 18時~20時

◇テーマ: ~モノラル・レコードを聴く~ジャズ篇パート2
◇特集:     BUD POWELL
◇演奏レコード jpg 250                        
 Roost  RLP 401 10吋オリジナル
 『THE BUD POWELL TRIO』
 Bud Powell (p) Curly Russell (b) Max Roach (d)
 NYC, January 10,
1947





                 
   

jpg 250 
Mercury  MGC 507 10吋オリジナル
 
『BUD POWELL PIANO』
   Bud Powell (p) Curly Russell (b) Max Roach (d) 
   NYC, February, 1950
 







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Blue Note  BLP 5003 10吋オリジナル
 『The Amazing Bud Powell 』
  
Fats Navarro (tp ) Sonny Rollins (ts ) Bud Powell (p)   

   Tommy Potter (b) Roy Haynes (d) 
   WOR Studios, NYC, August 9, 1949
   Bud Powell (p) Curly Russell (b) Max Roach (d )   
    WOR Studios, NYC, May 1, 1951


 

 
 
jpg 250 Roost RLP 412 10吋オリジナル
 『Bud Powell Trio』
 Bud Powell (p) George Duvivier (b) Art Taylor (d )
 NYC, September, 1953
 









◇使用機材:カートリッジ(モノラルSPU-A/ステレオSPU-AE)
          アーム Ortofon
             プレーヤー Garrard 301
             昇圧トランス WE618B
             プリアンプ WE120B
             パワーアンプ WE124
             スピーカー Vitavox S20(ドライバー) 
                     Vitabox AK156(ウーハー)
                      Altec A7(ボックス)

  
  
  ※終了後次回内容について意見交換を行います。

◇定員:10名程度

◇会費:1,000円(コーヒー&ケーキ)

◇場所: COFFEE&JAZZ BUD
       小布施町 TEL 026-251-4033(定休日:毎週月・火)11時~18時

◇主催:北信レコード愛好会


◇参加者:

◇~ウィキペディアより~
   バド・パウエル(Bud Powell 本名:Earl Rudolph "Bud" Powell, 1924年9月27日 - 1966年7月31日)はアメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト。

チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらによって確立されたビバップスタイルのジャズを、ジャズ・ピアノの分野に定着させ、「モダン・ジャズピアノの祖」とも称される。また、現在まで続くピアノ、ベース、ドラムスによる「ピアノ・トリオ」形式を創始した。

 1924年、ニューヨークに生まれる。パウエルの祖父はフラメンコ・ギタリストで、父はストライド・ピアニスト、兄のウィリアムはトランペット奏者という音楽一家で育つ。また、弟のリッチー・パウエルや、学友のエルモ・ホープも後にピアニストとして名を成すことになる。バドは最初はクラシックの勉強をしていたが、アート・テイタムらの影響でジャズに興味を持つようになり、15歳になる頃には兄のいるバンドでピアノを弾くようになっていた。

スイング・ジャズ系ピアニストの中でもモダンなスタイルを持つアール・ハインズやビリー・カイルの影響を受けた右手の高速なシングルトーンと、頻繁なコードチェンジに対応するため左手はコードプレーに徹するという、ビバップに最適化された新たな演奏スタイルを確立した。また、同時代のジャズピアニストであるセロニアス・モンクとは深く親交があり、若き日のパウエルはモンクから音楽理論を学んだと言われている。

1940年代後半から50年代初頭にかけて音楽面の最盛期を迎える。しかし、50年代中期以降は麻薬やアルコールなどの中毒に苦しみ、精神障害を負ったことで、。しかしながら、不調期の録音においても、呻き声を発しながらの鬼気迫る演奏を聴くことができ、これを含めてパウエルの個性として評価する声が多い。

1960年代初頭は本国アメリカに一種のジャズ不況が訪れ、多くのジャズメンがヨーロッパに活動の場を移した時期であるが、パウエルもまたフランスに渡って活動を続ける。映画監督のベルトラン・タヴェルニエは、この時期のパウエルの演奏活動のエピソードを元に、映画「ラウンド・ミッドナイト」撮影している。良好な環境と好意的な聴衆に支えられて麻薬禍からは脱却するが、既に体はボロボロであり、1966年にアメリカ帰国した後に死去。

パウエルは精神疾患の治療で電気ショック療法を受けた、また警官に頭部に暴行を受けた為に、指が以前の様に上手く動かなくなったというのが通説である。

ブルーノート、ルーレット・レコードなどのレーベルに演奏を残す。アルバムの代表作に「バド・パウエルの芸術」「アメイジング・バド・パウエル」「ジャズ・ジャイアント」「ザ・シーン・チェンジス」「バド!」など。作曲も多く、「ウン・ポコ・ローコ」、「クレオパトラの夢」などが知られる。
~ウィキペディアより~

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