旧信越本線の横川駅(標高387m)から軽井沢駅(標高940m)までの区間は、碓氷峠の急な勾配を超えて行かなくてはなりません。直線距離にして9.2kmしか離れていない2つの駅の標高差は552mもあります。時の明治政府はロシアの南下に備え、東京から日本海まで物資輸送の鉄道建設を急ぎました。信越線の鉄道建設はこうして戦争を想定した緊急国家事業として着手されたのです。延長11.2kmの間に18の橋梁と26のトンネルは、1891年3月24日に起工し1892年12月22日工事が完了。正に突貫工事とも言えるわずか1年9か月の短期間で完成させたのです。その後、電化のため1911年に横川駅付近に火力発電所が、丸山と矢ヶ崎には変電所が設けられて、1912年には日本で最初の幹線電化が行われました。一連の事業は日本近代化の偉業であり、その遺産は近代文化遺産として、また日本人の誇りとして忘れてはならないものです。正しい歴史と文化遺産は日本人の心そのものなのですから。それらを守り仇や疎かにしてはならないことを、このめがね橋から教えてもらったように思います。


このジオラマは穀平みそ店内のショウウィンドウで展示中です。
http://www.kokuhei.com/


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