ロンドン・オリンピックが始まって連日、
朝起きてから寝るまで、寝てから夜中に起きてまで、
日本人選手が出場する競技を、テレビの前で
「やったー!」と手を叩いて喜び、身びいきが過ぎて
「なにやってんだー」とののしり(ハズカシイ)
大きな声を出しながら観戦する日々です。

そんな風に競技を楽しみながら、あらためて思うのは、
スポーツは“なんて素晴らしいの!”という一言に
尽きるなあと今更ながら感じ入っています。
それはスポーツがなによりも人の心に勝敗を超え、
感動という唯一無二の真実を伝えてくれるからに外なりません。

選手が関わる家族から関係団体までの社会と人間関係には、
愛情深き献身的なものから利害と結びつく打算的なものまで、
重層して織りなしているでしょうから、その一人一人が選手に
影響を与え心理に作用しているのは想像に難くありません。
それは競技後のインタビューに選手の口から発せられる
感謝の言葉によく表れています。

しかし一方で、泣きながら何か悪いことでもしたように“すみません”
“もうしわけありません”と、うなだれ謝罪するがごとき複雑な心理を、
背負わされた選手がいることも決して忘れることができません。

話は逸れますが、明治という国家を指導した勝海舟ら武士達は
剣の達人でしたが、彼らの剣はただ人を殺め人に勝利するだけの
剣ではありませんでした。
かれらにとって剣の道を極めることは、己の人格を極め、
己の人道を全うすること同意義でありました。
そうすることによって自ずと恩に報いることができたのです。

人の思惑という複雑さの中に埋没しては、
己の進むべき道(生きる意味)を見失うことになります。
選手にとって、スポーツ競技そのものの中にこそ、
己の人生があるのではないでしょうか。