性なんていうとちいといかがわしいのでサガ。
ということで、レコードコレクターの端くれとして、
音の良いレコードはないかと日々インターネット上をウロツイテいる。
フィールドはジャズとクラシックなのだが・・最近はとみにクラシック。
それというのも、ここ数年でジャズのオリジナル盤はめっきり少なくなってしまったからだ。
見かけたとしても盤質にもよるけど値が高くなりすぎてしまった。
元々クラシックも好きだっから両方聴いていたのだけれど、
特に熱心なクラシックファンというわけではなかった。
それがどういう風の吹き回しか、自分では歳のせいだと思っているのだが、
このところクラシックを聴く時間がとても増えている。
それが顕著になったきっかけは、メロディヤレーベルのレコードで
今まで全く識らなかったロシアの演奏家に出会ってからだ。
ピアノが好きだからリヒテル、ソフロニツキー、マリア・ユーディナ、
フェインベルグ、ギレリスなどそのほかにも次から次に聴きたい演奏家がいて、
ヴァイオリンではダヴィット・オイストラフとレオニード・コーガンは
つとに広く知られているが、ヴィクトル・ ピカイゼンや
ユリアン・シトコヴェツキーを
知る人は多くはあるまい。たとい先の二人に卓とも劣らないとしても。
それら多くの演奏家に出会い聴くことを通じて、
ロシアは音楽芸術になんと優れた国であることか!と、
目を見張る思いで賛嘆の念を禁じ得なかった。
さらに、その演奏を記録したロシアのレコード、メロディヤの音質
(一言で言えば虚飾を排した抜けのよい音)にも耳を奪われてしまった。
なかんずく、トーチとか灯台マークの音は抜けが格段に良い。
そんなこんで、コレクターもただ闇雲にその枚数を増やしている積もりではないのだが、
いかんせん時間には限りがあるので、キチンと聴く間もなく次々と増えていってしまう。
人から見ればアホらしくもまたオロカしくも見えようが、このショウコリのなさこそ
コレクターである所以なのだら仕方がない。
しかし何事にも限度があることを知らねば、その先は死蔵になりかねない。
やはり、聴いてナンボのレコードなのだから。
何か良いものはないか症候群のコレクターは、探す楽しみとそれを買い求めることが、
何よりもの喜びであることを知っているのだけれど、度を超した習慣は中毒になる。
そんな患者になれば、もはや音楽ファンとはいえなくなってしまうだろう。