音楽は多少の思い出を残しながら消えていく。
強い感動さえ時がたてば薄れていく。
僕、あるいは人は音楽になにを求めているのだろうか。

たまたま今読んでいる本にこんな文章がありました。
岡田暁生著「クラシック音楽とは何か」
『日常への定住を拒む力-これこそ音楽が私たちに与える希望の力の源泉だと思う。
旅は今も昔も危うい。何が起きるかわからない。危険に満ちている。 
もし怖い目に遭うのが嫌であるなら、旅になど出ず、家の中でじっとしていればいい。
しかし家にこもってばかりいて、外の世界が消滅した日常の中で惰眠をむさぼっている者に、
「希望」はないであろう。自分が住む世界の「外」を見てみたいと思うことこそ「夢」であり、
あちらにあるのがここよりもよい世界であるかもしれないと考えることが「希望」であるとするなら、
翻ってこちらの世界を少しでもよいものにしようとすることは日々の生の活力にもつながるであろう。
音楽に-昨今流行の言い方をすれば-「癒やす」力があるとすれば、それはこのような意味においてである。家にいながらにして、まるで安楽椅子に寝そべり、受け身でマッサージを受けるようにして音楽に耳を傾ける者に、決して音楽が本来持っている「癒やす力」は与えられないと私は確信している。』

力強い言葉です。
ですが僕は「寝そべりながら派」なので、 
力を抜いて次へと読み進みました。
もちろん外の空気を吸いにいく旅は好きです。
それもできるだけ安全で景色が良く美味しいものがあるところへです。

じゃああんたはナンデ音楽聴いているのと聞かれれば、
受け身で時間から逃避している、というほかありません。 
無為の時間から心を守る隠れ家の役割を担っているとも言えます。
人は本能的に無為を避けたがりますからね。
だから無為を避ける行為に人は走る。
パチンコ、テレビ、そして音楽もまた。
これらはみな時間を忘れさせる伴走者なのだと思う。

となれば音楽とは、日常を安定させるものだと思うのです。