音は人なりなので、音楽に相性はあって当然です。
ですから、同じ曲でもできるだけ意に添ったものを聴きたいと思っています。
趣味は我が儘な選り好みがあってこそ個性が出て面白いのです。
人はどうのたまわろうとも「今の」自分の感性を信じましょう。
例えばアイネ・クライネ・ナハトモジー ク、ポピュラーな曲ですが、
明るく軽めの演奏より、芸術作品として腰の据わった演奏が好きです。
それに自分の感性が絶対永遠なんてことはないのですから。
感性が変わっていくことは成長なんです、決して変節なんかじゃありません。
大げさに言えば、感性や品性といった人格的能力は一生勉強することで、
少しずつマシになっていくと考えたいですね。

さて、今日は弦楽四重奏です。
モーツァルトは弦楽四重奏を23曲作りましたが、
14番から19番 の6曲はハイドンに献呈され、
ハイドンセットとしてよく知られています。
敬愛と親愛の友情で結ばれていたハイドンへ、
モーツァルトは出版譜の序文に書きました。以下主旨。
「親愛な友ハイドンへ
ここに六人の子がいます。これらは長い間の苦労の所産ですが、
この苦労がいつか報われるであろうという希望を持つことが、
私の慰めの泉となろうかと思っています。どうぞ快くこれらをお受け取りになり、
父とも指導者とも友人ともなってやってください。
只今をもって、私が彼らの上に持っていた権利のすべてをお譲りします。
1785月9月1日 ウィーンにて」 29歳、死の6年前。

モーツァルトはふだん、噴出する泉が小川となるように曲を書いていましたが、
この弦楽四重奏の作曲には苦労したようで、自筆譜には考えられないほどの、
修正の跡が見て取れます 。
ともあれ、この六曲は全て素晴らしく、深い味わいがあります。
それは、秋の夕日に照らされた紅葉の山が複雑な織り地を見せるように、
モーツァルトの音楽は秋の微光に渋く光り響いています。
「秋の日射しといっても、ことばを聞いてわかるというが、それで内容まで
ちゃんとわかるということはない。それは自分が本当に秋の日射しの深さが
わかるようにならなければ、ことばで言ってもわかりはしない。
してみるとほんとうにわかるのは簡単なことではない。」
この岡潔さんの言葉にあるように、モーツァルトが放つ秋の日射し、
その深さは簡単にわかるというものではないように思います。

六人の子を差別できませんが、 代表して一人に出てもらいましょう。
19番ハ長調K.465「不協和音」
天才としての強烈な自負と自惚れが生んだ封建貴族社会との軋轢。
生身のモーツァルトが受けたであろう悲哀は、
音楽によって澄みきったものへと昇華します。

神韻縹渺としたカペーの演奏は、モーツァルトの霊が、
一緒に聴いているような雰囲気があります。
かたや、ジュリアード はバランスよく調和がとれていて、
柔軟な響きに落ち着いた安定感のある演奏を聴かせてくれます。

モーツァルト没後に活躍したイタリア人作曲家の二人 が
モーツァルトについて語った言葉です。
ヴェルディ:モーツァルトは弦楽四重奏の作曲家。
ロッシーニ:モーツァルトは唯一無二の作曲家。

モーツァルト
(1756年1月27日 - 1791年12月5日)
ヴェルディ(
1813年10月10日 - 1901年1月27日)
ロッシーニ 1792年2月29日 - 1868年11月13日)