音楽という領域で表現活動を行い職業として生計する人は、
プロミュージシャンですが、その全てが音楽家とは呼ばれません。
例えば、流行歌手は音楽家と言わず、流行歌作曲者は音楽家と呼ばれるように。
呼び名はそのほかにも、師・士・者・などがあります。

仮に作詞作曲は創造行為で、それを楽器や歌声で表現するのは想像行為とすると、
その役割分担で呼び名が変わるようにも思いますが、そう単純でないのは、
歌手と声楽家、演奏者と演奏家などと呼び名を違えています。
しかし、その理由や根拠は曖昧さがあるようです。

それはさておき、人が自分の好みによって、その人の演奏や歌を良いとするのは、
まず声や音によって、それに表現技巧がプラスされ判断しているように思います。
さらに、顔かたちやエピソードによって親近感が湧き、好感度が増したりします。
しかし、直に個人的付き合いがないので、
真の人間性や人格といった個人の姿は知りようがありません。
それでも、エルビン・ジョーンズさんとはライブで目を交わし握手し、
僕の喫茶店でライブをした
ローランド・ハナさんと片言交わしハグしただけですが、
その一端を感じ窺い知りえたのは確かなことでした。

レコードで演奏家の音樂を聴きくことは、
喜怒哀楽を表現する素晴らしい演奏もさることながら、
音の響き演奏の向こうに、人柄や人格が反映していないかと想像して、
そのようにも聴くことができたらいいなと思ったりしています。
また、そのように聴けるオーディオであってほしいと願っています。