小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

読書

柳宗悦著「心偈」から

偈とは仏の徳や教えをほめたたえた韻文。
頌(げじゅ)歎仏頌(たんぶつじゅ)讃仏偈(さんぶつげ)などともいう。

柳宗悦は晩年の心境を短く つづった文を
心偈となづけた。
心偈と書いて「こころうた」三十五にある文から。

吾々の不幸の大部分は報酬を予期することに由来しよう。
凡ての怨恨も後悔も、闘争も苦悩も、利己心にもとづくためである。
報いを持たぬとは、己を去ることである。
心にこの用意があれば、幸福は確約される。
何故なら、何事も感謝の念に転じてくるからである。
一切の不平は利己心による。
利己心とは報酬への期待である。

利己心を持たない私心を去った心で観る世界はどのように映ずるものか。

 

「日米地位協定入門」を読む

オモシロイ、とんでもなくオモシロイ。
敗戦後、「トンデモナイクニ」日本がどのように作られたか。
コソコソと秘密裏にクモの巣に絡め取られていく様子が
手に取るように伝わってくる。
屈辱的に、協力的に。
それは日本が進んで自らの手で売国し、
日本をトンデモナイクニ、オソマツナクニにした
ということを忘れず自覚したほうがよい。
条約や協定、そして密約といった法律がどういうものか。
その効力たるやアメリカの強欲絶大なパワーに圧倒される。
いったいどこまで日本はアメリカに追随従属していくのか、
させられていくのか、謀略を使った戦略によって日本を支配していく。
そうだったんだ、「日米地位協定」という法律によって
日本は完全にアメリカの植民地的属国になっている。
日本は経済と軍事でアメリカ国益のために使役させられる国になっている。
アメリカにすり寄らなければ政権を維持できない政治家と官僚の保身。
この現実を知らないで日本の政治の何をか語らんや。
自身よくも今まで知らぬが仏できたものだとあきれるばかり。
それにしても日本人は勤勉素直礼儀正しいのだが、
そのときの支配者の権力にたやすく屈服忍従従属しやすい。
これを失ったら日本人でなくなるという、命に替えても守ろうとする
民族固有の魂、精神的支柱を持たなかった、持つ契機がなかった、
持つ必要がなかった民族のようだ。
それもそのはずという一端は支配者の精神が高貴でなかったこと。
地位だけが高貴で犠牲は圧政によって強権的に被支配者に負わせたことだ。
国の存亡に際し、自らが責任を負い犠牲になることによって国全体を救い守る、
真の高貴さを示す(民族固有の魂、精神的支柱になりうる)
支配者(国父)が歴史上に現れなかったことにもあるのではないか。

今も続くアメリカ軍による日本占領体制。
アメリカは無謀な戦争を仕掛けた日本軍の真珠湾攻撃を
決して忘れずにいる。
アメリカにとって日本は今も敵国扱いなのだ。
その現実が「日米地位協定」。
それは紛れもないアメリカ軍の治外法権に反映されている。
事あれば「身の程知らずのジャップめ」となる。

人権無視被害から生じる影響は命、健康、尊厳に止まらず、
財産や環境をも破壊する。
それは往々にして、自分が生きている社会の現状や歴史に無頓着、
無関心でいることの無知から発生している。

「日米地位協定入門」前泊博盛編著 創元社

読書の楽しみ

人生はいくつになっても新しいことが待ち受けている。
人は沢山のセンサーで新しい情報をキャッチし、
時折ハットするような驚きの感動に出会う。
自分にとって (こそ)大事だと思える、そうした自分にとっての
新事実、自分にとっての新発見は、今までのものの見方を
がらりと革める意識の更新作用をもたらしてくれことだってある。
そんな経験は今を生きる自分の人生を楽しくしてくれる。
読書はそうした経験の一つとしてかけがいのないものだ。
こんなことも知らなかったのかという無知こそが、知った驚きと感動と、
知ることの楽しみ、そして生きている喜びへとつながっていく。
敗戦後70年、知らなかった戦後史の史実ほど面白く興味深いものはない。
と、いま思い知らされている。
好奇心旺盛にして直感と洞察力優れた鋭敏な知性が、情報公開された
アメリカ公文書等を探査して内容をまとめた本が出版されている。
これらを読むと歴史は今を生きる人生の足下を照らす法灯だと気が付く。
それは明日に思いを巡らす道標ともなろう。
創元社の「戦後史再発見」双書はそうした希有な本だとおもう。

 

好きな写真家 エルスケン

こんな写真を撮ってみたい!
と、秘かに思っても・・・
ため息しか出ない。
そんな写真を撮るのがエルスケン。
どこがといっても一口には言えない。
けど惹かれる、ものすごく。
先ず思うのは人間への好奇心が並外れて溢れている。
汗や体臭がプンプン、性格や人生が浮き上がっている顔・顔。
それは洗練された人々を撮ったスマートに仕上がった写真ではない。
生き物のような人間とでもいえばいいのか。
生き物が生き物をねらう写真とでもいえばいいのか。
とにもかくにも人間の存在がリアルに写っている。
1960年(昭和35年)不思議な活力が列島に充満していた。
エルスケンはその日本を夢中で撮り写した。
53年経った日本は幸福になっただろうか。
それは経済(お金)だけでは成しえない事業だとみんな気づいている。

「たあくら一茶」発売中

‐たあくら一茶‐と聞いてピンとくる人は、
知る人ぞ知るバクロウさんのイッサだ。
ナニ‐知っていたってジマンにはなりませんが。
たあくらとは、雑誌「たあくらたあ」でおなじみのバカモンの意。
一茶とはハイジン小林一茶その人である。
30年以上、手摺りの「版画一茶カレンダー」を彫り続けてきた森貘朗さんが、
「たあくら一茶」を「たあくらたあ」から番外発行して発売中!
踏まれても引っこ抜かれても次から次に生えてくる雑草のように、
バクロウさんのムネに落ちてくる一茶の雑想を書き留めた23文は
さながらジャズの即興のよう。読んでは消えヨンデハキエていく。

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小林一茶
小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)- 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、江戸時代を代表する俳諧師の一人。本名を小林弥太郎。別号は、圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など。

一茶は芭蕉と並び、江戸のというより日本を代表する俳人。
封建社会の身分制度である士農工商の農民出身。
その魅力は人間小林一茶に尽きる。
時代や身分を越え国をも超え、一人の人間としての生きざまが
俳句に投影されていることだと思う。

『たぁくらたぁ』vol.24発売

『たぁくらたぁ』vol.24号発売
特集:脱・原発社会へ
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原発というやっかいなお荷物を背負った日本列島。お荷物の中身は欲の固まり。これからの日本の運命はこの欲得をいかに減らすかにかかっている。この欲得を減らせば危険は減るし、増やせば危険も増える。原発事故はその原因が地震は言うに及ばず、操作ミス、老朽化などによってどこの原発でも起きる可能性はある。飛行機だってミサイルだって落ちてくる可能性はある。確率がどんなに低かろうと可能性は無視できない。100%ないということは100%ないのである。どこにも持って行き場のない大量の被爆ゴミは出続けるし、現場の被爆作業は路上生活者を使い捨てにしている。
原発は電気事業法《http://www.houko.com/00/01/S39/170.HTM》という国策遂行。
そこにはこう書かれている。そして原発は明らかに法律違反である。

第1章 総 則

第1条 この法律は、電気事業の運営を適正かつ合理的ならしめることによつて、電気の使用者の利益を保護し、及び電気事業の健全な発達を図るとともに、電気工作物の工事、維持及び運用を規制することによつて、公共の安全を確保し、及び環境の保全を図ることを目的とする。


今後は原発がなくなるまでの間、被爆事故が起きたときの対策として、正確で迅速かつ透明性の高い情報の発信装置を備え、被爆からの避難・防護といった最重要課題を最優先に法的に完備すべきだ。
国家(政治家・官僚・電力会社利権連合)による国民の生命健康財産軽視、農水産食料生産現場の長期喪失をこれ以上許すも許さないも、つまるところ国民の覚悟と自覚と選択にかかっている。


~では最後に『たぁくらたぁ』から森貘朗さん「バクの寝言」の一節より~
―永田町では明けても暮れても「菅首相おろし」に余念がない。なんのために、なぜ菅首相ではいけないのか―さっぱりわからない。はっきりしているのは、誰がやっても管政権以上のことは出来ないということ。地震・ツナミ・原発の三位一体でやられてもウマクやれる政治家はいない。何でもないときでもチョウドにやれぬのが政治だ。「菅おろし」の理由はマスコミは知っているのに決して「情報公開」しない。
菅首相で困るのは何か―。原発推進がストップし、やがて原発廃止しかねないのは―菅直人という男だけだ。―

あなたも私も君も僕も、今時の日本に真に望まれる『男』と『女』になりたい!とは思いませんか?
菅さんがスポイルされようとしているけど、本当は名もない国民が原発利権組にスポイルされるんだよね。オソロシヤ、オソロシヤ。

ポートレイト・イン・ジャズ

ポートレイト・イン・ジャズ
イラスト 和田誠  文 村上春樹

ほのぼのとした似顔絵のイラストから、ジャズを愛し楽しんでいる和田誠さんの気持ちが伝わってきます。始めに26人、続に26人、合わせて52人。あとがきに『人選はまったく自分の好みに従っている。この場合の「好み」には二種類あって、一つは演奏(あるいは歌唱)を聴いて好きになれる人。一つは描いて楽しく、面白い絵になりそうな人。―中略―絵が完成するまでに、その人のレコードをかけている。写真を見るだけではなかなか描けない。顔を似せることはできても、それ以上の何かを求めようとすると、音楽の助けが必要となる』ナルホド、似顔絵に魂を入れるには音楽が不可欠だったんですね。僕が好きな似顔絵は、チェット・ベイカーとチャーリー・パーカー。二人とも度し難いジャンキー。チェットは目の隈に、パーカーは顔半分にそのことをちゃんと描き入れてる。村上さんの罪のない(?)饒舌、それらしい言葉を置いたような文章は、反復すると陳腐さが後を引く。ビリー・ホリデイのところでこんなことを書いている。『ビリー・ホリデイの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、あるいは書くことをとおして、これまでおかしてきた数多くの過ちや、これまでに傷つけてきた数多くの人々の心を、彼女がそっくりと静に引き受けて、それをぜんぶひっくるめて赦してくれているような気が、僕にはするのだ。もういいから忘れなさいと』ウーン、なんといえばいいのか。

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セレブレイティング・バード〈チャーリー・パーカーの栄光〉

セレブレイティング・バード〈チャーリー・パーカーの栄光〉
  ゲイリー・ギディンズ著  バベル・インターナショナル訳

ジャズ・ミュージシャン・チャーリー・パーカー(バード) とはどのような人物だったのか。第1章・「バード・リブス」の始めに『ジャズの世界を共通項としてもつ人々―多くのミュージシャン、数名の批評家、熱狂的なファンのグループ―は、彼の演奏によってある種の恍惚感を呼び起こされてた。それは、神秘的なやすらぎともいえる種類のものである』こう記述された短い文章にバードは要約されている。つまり、バードは彼がアルト・サックスを吹くそのサウンドで聴く人の心を浄化することが出来たのである。実に明快なバード像。バードは荘厳なカテドラルを必要としなかった。アパートの一室、居酒屋の片隅において誰とギグしても聴く人に神秘的なやすらぎを与えることができた。この本はさながら写真集のごとく多くの写真が載せられていて、バードの表情がもつ人なつこい顔からは、自ら破滅的悪癖へと歩んで戻らなかった34年の人生を思うことは難しい。img003

あらゆる入り口がそうであるように、チャーリー・パーカーへの入り口も探し求める者には常に開かれている。ある時の出会いが入り口となり、100人に100の入り口がある。
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