小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

小さな旅

地獄谷野猿公苑

先日、きょうだい会で上林温泉に泊まった折に、
地獄谷野猿公苑まで行ってきました。
ここを訪れるのは、なんと40年振りです。
ホテルから往復は見学も入れて約1時間半。
往時の記憶はすでに薄れ、初めて来たようでした。
当時と違っていたのは、途次に行き会う人が日本人より
欧米や中国からやって来た観光客が多く、
今では国際的な観光地になっていたことです。
お猿さんの顔つきもどこかしら穏やかで、
手荷物をひったくりにきて、人が悲鳴を上げるような
場面を見聞することはありませんでした。

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上林温泉から横湯川渓谷沿いにゆるやかな登りが続く。


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地獄谷温泉の一軒宿「後楽館」

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雪も溶け温泉につかる猿は餌の麦を食べに入ってきたこの一匹だけ。

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仲良く抱き合っていた若ザル。二人はこの後肩を組んで歩いて行った。

奈良 11/16/2011 晴れ

奈良の旅も今日が最終日。晩秋の陽は短い。
今日も早朝暗いなか5時にホテルを出て平城宮跡へ歩いて行きました。

奈良日本朝廷は中国の律令を範に大宝律令を整備し、氏姓制度から官僚制度によって支配体制を強化し、その根拠地として平城宮を造営、国史『日本書紀』で神話を都合よく創造、現体制の正統性を主張し、内外に国家としての体裁を整えたことを示した。この一連の事業をプロジュースした人物こそ藤原不比等その人に外ならない。彼は政治の実権を司る太政府を天皇直属から外し、天皇を犯すことができない神聖な存在に祭り上げ、政治の結果責任を天皇に及ばないようにし、その権威に威を借り実権を行使する体制無責任制を日本に根付かせた。その功罪や如何に。

平城宮跡に着いた刻の空は朝ぼらけ。奈良平城宮は日本国家の夜明け。
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再建された大極殿。20日に行われる育樹祭の準備に使用するテントが張られていた。
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番外は京都に立ち寄り、東寺と河井寛治郎館を見学。

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河井寛治郎書斎の机と椅子

奈良の旅は天候に恵まれ幸運な3日でした。
奈良は日本のまほろば。
明日香・三輪山・宇陀・吉野、さて次回はどこに行こう。

奈良 11/15/2011 晴れ 続

前回、法隆寺を訪れたのは4月8日。このときは食堂で行われる仏生会に参拝しました。
http://www.horyuji.or.jp/busshoe.htm

今回11月15日は勝鬘会が行われる日。この日も大講堂で参拝できました。
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大講堂に向かう僧侶

さて、いよいよ法隆寺夢殿の救世観音像を見るときがやってきました。
救世観音は何よりもまず聖徳太子の等身像であるということが大変興味深い。
救世観音を写真で見る限り、紙幣の聖徳太子肖像画とはあまりにも違いすぎている。
ならばこの目で見てみたい。聖徳太子の似姿お顔を。

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聖徳太子【敏達天皇3年(574年)~推古天皇30年(622年)】
聖徳太子の時代、キングメーカーは蘇我氏。権力争いは謀略陰謀が渦巻き権力者達の心は疑心暗鬼(いつの時代も)。そこに時代の寵児中臣鎌足が人心掌握術を持った天才謀略家として日本の政治史にスーパースターのように登場します。彼は中大兄皇子と謀りストップ・ザ・蘇我王朝を計ります。彼は先ず蘇我氏を唆し蘇我王朝の大王皇族である聖徳太子の子、山背大兄王一族を死に追いやり、次に中大兄皇子と組んで蘇我氏を滅亡させます。その子藤原不比等は天皇家の外戚となり、藤原氏はキングメーカーとして藤原王朝を築いていきます。その始祖鎌足が滅ぼした聖徳太子一族の祟りを封じ込めるため、救世観音は金堂から夢殿に移され、後頭部に釘を打たれ、白布に巻かれ、二度と藤原氏に難が及ばないよう閉じこめられました。興味尽きない歴史秘話です。

法隆寺から歩いて山背大兄王建立の法起寺と法輪寺に向かいました。その中間にある小さな丘は山背大兄王が眠っているとの伝えがあります。
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法輪寺三重塔

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岡の原丘陵 伝山背大兄王墓所

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法起寺三重塔

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法起寺の門前で。この場で食べたが甘く美味しい柿だった。
子規もこの富有柿を食べたのだろうか。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 子規

今日は早朝からよく歩き万歩計は30.000を超えました。
奈良駅に戻り夕食までの時間奈良ホテルで一服。

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奈良ホテル崖下、荒池で。

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コーヒー・紅茶・ケーキすべて美味しい。ゆっくりとしたティータイム。

奈良 11/15/2011 晴れ 

朝6時、奈良駅前のホテルを出て奈良公園に向かって散歩に行く。
30分ほどで東大寺南大門に着く。高さといい柱の太さといい多数の巨木を使った巨大建築。仁王も見上げるばかり。その巨木(直径1.5m高さ30m)も鎌倉期になると日本の山から消えていたという。大仏殿に向かう早朝の参道は観光客の姿なく、鹿と散歩やランニングの人がちらほら見うけられるだけで冷えた空気と静かな雰囲気が気持ちいい。大仏殿から東にゆるやかな登り道を行くと山の斜面に柱を立てた二月堂に着く。回廊では散歩に来た人たちが街を見下ろしながら一服しての談義に花を咲かせていました。階段を降り裏参道を下ると大仏殿の裏手、この辺りの落ち着いた佇まいは奈良の魅力を一層引き立てているように感じる。後は正倉院(工事中)を巡りホテルへ、2時間の散歩でした。朝食後は法隆寺へ、いよいよ救世観音とのご対面です。

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早朝の大仏殿参道

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二月堂回廊で

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東大寺裏参道

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奈良公園の紅葉

奈良 11/14/2011 晴れ

14日から16日まで奈良へ行ってきました。奈良は2009年4月、薬師寺の東塔と法隆寺を見に行って以来2年半ぶり。今回の目的は第一に法隆寺夢殿の秘仏、救世観音をこの目でしかと見ること。14日は偶然にも奈良国立博物館正倉院展の最終日。織物や木工芸品など精緻な作りにはただただ感嘆するばかり。また、【中倉 黄熟香(おうじゅくこう) 長156.0cm 重11,600g】は、はるか千年の時を経てなお仄かに芳香を漂わしていて驚くやら嬉しくなるやらでした。

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荒池畔の紅葉。後方は春日山。奈良も今年は紅葉が良くないようです。
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夕日を映す猿沢池
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夕食は『梁山泊』で。絶品『鯖寿し』
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美味しい酒と料理に話がはずむ。同行のUさんと女将さん。
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~津波から半年の三陸を訪ねて~3

~津波から半年の三陸を訪ねて~田老から山田町・大槌町まで

18日(火)はれ
避難所だったグリーンピア田老(現名は三陸みやこ)夕食の用意が出来ず秋の観光客は皆無だという。現在は朝食付きのビジネスホテルとして営業中。
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広いグリーンピアの敷地内に建てられた仮設住宅の一区。
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真崎の小港漁港
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田老和野地区で、ロープにコンブとワカメの養殖用仕掛けを取り付ける漁師のみなさん。
集会所でお湯を沸かし、淹れたコーヒーを皆さんに飲んでもらいながら、お話を聞く。
この辺りは昭和40年頃(50年前)まで葉煙草栽培が中心で、閑期は大間や気仙沼のマグロ船などで働いたそうですが、コンブ栽培をするようになり、1年を通してこの仕事が出来るようになったという。自然や仲間と共に生きる彼らの表情は明るくおだやかだった。
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山田町から大槌町へ。海岸沿いの津波を受けたところは、どこも建物が全て損壊。あるものは曲がった鉄骨と崩れた壁、あるものは土台のコンクリートだけの変わり果てた姿に。ひしゃげた車は岸壁に、海岸からかなり離れた川の土手にも、まだ多くが放置されたままになっている。豊かな恵みをもたらしてくれる大きな海と山。山は海に迫り空いた平地はあまりにも狭く、限られた地形に集積する人間の営み。堤防をより高く10mを15mにすれば安全で安心できるのか、自然の恵みと共存する難しさを、被災した現場で思わずにはいられなかった。

宮古から山田への途中で川釣りをする人。
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山田湾の水はこんなにもきれい。
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山田町北浜地区。大杉神社の鳥居が見える。
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一見、津波が来たとは思えない山田湾の風景。
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山田道の駅で。松茸の薫りぷんぷん。去年は豊作、今年は不作だそうです。
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大槌町は津波後プロパンガスのボンベが各所で爆発し火災が発生。
炎は崖伝いに松の木を焦がしながら隣接する室浜に達する勢いだったという。DSCN1576

海側から杖を頼りに歩いてくる女性に出会った。毎日、高台の仮設住宅から流された自宅を見に来ると言って、その場所を指し示した。二人で土台の連なる遠方を見つめると、共に無言のまま目頭が熱くなってしまった。
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~津波から半年の三陸を訪ねて~2

~津波から半年の三陸を訪ねて~盛岡から宮古・田老・小本まで 
17日(月)くもり
盛岡から宮古までは閉伊川に沿い国道106号と山田線が併走していて、盛岡寄りは紅葉が見頃だった。
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宮古は三陸の沿岸部中、比較的津波の被害が少なく駅前街中の商店はほとんど営業していた。
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高さ10mの堤防を超えてきた津波に呑み込まれた田老の中心部。瓦礫はすっかり片付いている。
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二重堤防は海側(右)が破壊された。
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恐怖心が薄らいできたのだろうか、堤防を散歩する人の姿が印象的だった。
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最近になって海を見つめる人の姿が戻ってきたという、夕暮れ近い小本の突堤。
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どっこい生きている!大きくなれ!小本の浜で。
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~津波から半年の三陸を訪ねて~1

17日(月)から19日(水)まで3日間をかけ東北三陸の津波被害を見てきました。

17日(月)は長野から高崎経由で盛岡まで高速、盛岡から紅葉の閉伊川に沿って宮古へ。
この間約750km、走りながらなんて遠いことか、長野から東北は遠北だなあと強く実感。
宮古からは田老そして小本へ。宮古へ戻り夕食後、グリーンピア田老に宿泊。

18日(火)は真崎灯台から宮古を経て山田町・大槌町まで南下。鵜住居川沿いの空き地にテント泊。

19日(水)は釜石市から大船渡市・陸前高田市・気仙沼市を周り、石巻市まで南下し夕暮れ。6時過ぎ高速に入り一路長野へ。

20日(木)午前2時帰着。走行距離約1600km。もう一日ほしかった!

【三陸】陸奥(青森)陸中(岩手)陸前(宮城)

東北三陸へ

3.11大地震以後初めて東北三陸に、17日(月)から二泊三日テント持参で行ってきます。今も地元には大津波の強い衝撃と深い爪跡が癒えることなく、人の心と山河に残っていることでしょう。もっと早き行きたかったというのが正直な気持ちなのですが、とにかくこの目で見て、何かを感じて復ってきたいと思っています。行く目的は慰問とか、何かお役に立つことをしようということではありません。ただ出来たら、淹れたてのコーヒーを飲んでもらい、語られる話しに耳をかたむけたい、そう思って出かけてきます。
今回、偶々起こったのが東北三陸、というに過ぎないのであって、日本列島のどこに住んでいようと、突然の地震災害から逃れられないのが日本の宿命です。いつ来るかわかりませんが、間違いなく明日は我が身なのです。

では、アルバイトのN・N君と二人三脚で行って来ま~す。

松之山・美人林・滝見屋

久しぶりに松之山へ行ってきました。僕が知っている松之山の魅力、好きなところは温泉があること、美人林や天水越からの眺めと棚田のある奥まった山里の景観、そしてハートが温かい人情です。これらが混然としてときどき松之山に行きたくなるのです。せいちゃんこと高沢精一さんのそば店・滝見屋で夫婦共々過ごす談笑のひとときは、いつもながら松之山の夜の楽しみです。銀座の天一で修行して帰ってきた息子さんの天ぷらの味が素晴らしく、ご主人のキャラクターとともに、天ぷらも名物になりそうな予感がした一夜でした。

 美人林
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  棚田
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  天水越から
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  滝見屋
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