小布施のジャズ喫茶 BUD

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クラシック

藤井貴宏オーボエコンサート

藤井貴宏オーボエコンサート

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音を聴く~ハイドンの「ひばり」~

ハイドンと云えば弦楽四重奏曲「ひばり」がポピュラーですね。
僕はハイドンの細やかな心の内を写し取ったような第二楽章の
例えようもない響きがとても好きです。
この曲をカペーはどこまでも掘り下げ、深遠な響きで演奏しています。
こういう演奏は 未知との遭遇のようで、どこからやってきたのかはかりようもなく、
生命の泉に触れたかのごとき驚きと感動に満たされます。
カペーのハイドンをもっと聴きたいのですがほかになく残念です。
僕にとって「ひばり」はハイドンの偉大さ、カペーの素晴らしさに
出会った曲でした。

 

音を聴く「美しさ」について

例えばブラームスのヴァイオリン協奏曲。
曲の良さに惹かれ何人もの演奏家で聴いてみたくなる。
その中からより自分好みの演奏がみつかる。
それはデザインに惹かれた服を作るとき、
服地の色、模様、材質が自分にピッタリ合ったものを選ぶのと同じ。

好き嫌いは理屈ではない。
自分でも説明つかない感性感覚が無意識に働いて、
直感的に各人各様に判断している。
とはいうものの大ざっぱでも何らかの判断基準はありそうだ。
これは好き、何故って美味しいから。私に似合うから。
これは嫌い、何故って不味いから。
ここには何かしら美しいものを求める気持ちが現れている。
少なくも食べたときいやな雑味が残らないものが美味しい。
これは人に会ったときの人間味にも共通する。
そしてそれは演奏家の音にも言える。
音の響きに含まれるテンポや強弱の付け方は演奏家の心情。
その音が、澄んだ雑味のない音色として耳に残るとき、
そこに美しさがある、と感じるのだと思う。

Ginette Neveuの演奏にそうした美しさが秘められている。
Fritz Kreisler,Jascha Heifetzは加えて気品と風格がある。
就中、流麗なることHeifetzに並ぶ者はいない。

オーボエとヴァイオリン デュオコンサート

オーボエ 藤井貴宏   ヴァイオリン 高山紗絵子

日時 2016年4月7日(木)
    18時30分開場 
    19時00分開演

場所 小布施BUD

料金 3,500円

チケット申し込み 小布施BUD 026-251-4033 (木~日 11時~17時)


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音を聴く~第二楽章~

第二楽章はアダージョで作曲されることが多く、
緩やかに演奏され歌謡風の情感豊かで美しいメロディーが特徴です。
音楽という宝石箱にそっと置かれた美しい宝石のような旋律に、
うっとり聴き惚れない人はいないでしょう。
愛するものへ万感の想いを込めた優しさと慈愛に満ちた第二楽章。
いっとき現実を忘れ、空想の世界に誘われるロマンチックな第二楽章。
モーツアルトやベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二楽章は、
その美しさ故についここだけリピートして聴いてしまうことが度々です。
モーツアルトのピアノ・ソナタ K570の第二楽章だけが収録された
ウイリアム・カペルの演奏を聴きながら・・・ 

音を聴く~ショパンのマズルカ~

ショパンの音楽はおしなべて、どこかそこはかとなく愁いを帯びている。
どんな曲を聴いても愁いは底に流れている。
憂いを帯びた色調が空中を漂っている。
そんなショパンの望郷の旋律は琴線を震わす。
数ある曲の中でもマズルカは郷土色豊かな色彩と陰影を持っている。
各地各家庭で漬け込まれた漬け物や郷土食の味わい深さを持っている。
風土のざわめきと匂いが感じられる。 
そこに培われた伝統と暮らしの中から生まれてきた民謡のようなマズルカ。
マズルカはポーランド人の魂の一部になっているようです。
旋律から遠い先祖の記憶がふっと顔を出す。
分割と統廃合を繰り返してきたポーランドの歴史。
誰もがマズルカを口ずさみ、誰か故郷を想わざる。 
ポーランド各地に伝わる舞曲の総称としてのマズルカ。
それは方言のような愛すべき地付きの旋律。
僕としては洗練された美しさより、いくらか地の訛りを感じさせる
ポーランド味の演奏が好きです。
ショパンが行った演奏はどんなものだったのでしょう。

「故郷の訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」 啄木

曲の解説は下記のサイトをご覧ください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/chopin/Mazurka/

モーツアルトを聴く

休みに日はできるだけ歩くこと、そして音楽を聴くことにしている。
歩くのは野、山、道路、どこでもいい。 
歩いて汗をかいてサッパリするのが好きなのだ。
音楽はモーツアルト。
今はモーツアルトを聴く時間が多い。
聴きながら『モーツアルトの手紙』や 『モーツアルト頌』を読む。
眠くなったら聴きながら昼寝する(笑)。
今日は交響曲を何曲かでモーツアルトの空気を流した。
ベーム指揮のベルリンフィルで。
33番変ロ長調、34 番ハ長調の第二楽章には自然と耳が奪われる。
音楽はやっぱり旋律の美しさに心引かれる。
そして美しい言葉に出会うのもまた楽しい。
『モーツアルト頌』 より。
10歳のモーツアルトの演奏を聴いたヴェルテンベルグ公子の言葉。
「神々の言葉とも考えることができたであろう繊細で高貴な音楽を、
幼いモーツアルトが遊び戯れながら生みだすのを見たとき、
いうなれば私の器官のすべての弦に、私の精神が全力をもってあこがれていた
不滅のものが響きかえったのであった。・・・・」 

ギレリスのベートーヴェン「ピアノ・ソナタ」

ながら聴きしていて伝わってくる心地良さ。
そうした気持ちのいい音がいい音楽。
音符が読めない音楽愛好家が音楽に親しむ
気が置けない楽しみ方とはそうしたものだ。
何かを判断しなければならないといった分別は気が重い。
良否優劣を離れたところにある心地よさを楽しもう。
というわけで響いてきたのはギレリスのベートーヴェン。
「ピアノ・ソナタ」
一枚のCDに16・17・18の3曲が収収録されている。
その17番が心に響く。
抑制された感情だが冷たくも乾くこともないデリカシーを奏でる。
 

絃楽四重奏

絃楽四重奏の響きが俄に俄然面白く聞こえだした。
以前よりベートーヴェンは聴いていたのだが、
しばらく前にモーツアルトを聴いてから、
響きの感じ方が大きく変わった。
ベートーヴェンを主に聴いていたときは、
ある感情のかたまりとして捉えていたものが、
モーツアルトを面白いと感じ始めてからというもの、
その響きは呟き、ひとりごと、自己との対話を通し、
憂い嘆き、不安や希望、喜びと悲しみなど様々な心の内が
音楽として表現されているように思えてきた。
そんな感情の起伏の流れを四人が緊密な演奏で
ダイナミックに表現する音楽は聴いていてとてもスリリングだ。
その興奮が聴いていて面白いということだと思う。
あまりよく言えないのだけど大方そんな感じ。
そんなことを漠然と考えていたら、今朝の信毎に偶然にも、
小澤征爾さんが絃楽四重奏について語った記事があった。
「音楽の基礎で飾りがなく、作曲家の芯がでている」と。
作曲家の素顔といってもいいように思う。

藤井貴宏さんのコンサートを終えて

二夜連続のコンサート当日は、
強い寒のもどりで心配だった雪が降らずほっとしましたが、
冷え込んだ夜空に星が光って三月とは思えないような寒さでした。

40名の聴き手の耳と目線を正面間近に受けながらの演奏は、
狭い室内をことさら小さく感じさせて、
さぞかし緊張した時間だったとことと思います。
しかも、じっと静けさを保って一挙一動を見つめられ
聴かれているとあっては、さすが藤井さんも演奏の合間に
静かなことに感謝しながらも、張った空気を和らげるような
話を入れて笑いを誘っていました。
その話しぶりには、5年というドイツでの修行で培った
人間としての成長ぶりが表れていました。

どんな音楽ジャンルにかかわらず、いつも音は演奏家の魂だと、
そうでなくては音楽は聴き手の心にとどかないのではないか。
と、そんなふうに思うとも思わずしながら、その善し悪しを
自分に合わせて聴いています。

藤井さんのオーボエを聴き始めて何年になるでしょうか。
そして何回聴いてきたことでしょうか。
その都度、藤井さんはいい意味で変化してきたように思います。
そして、その変化が成長という形としてはっきりと示されたのは
今回が初めてのようにぼくには感じられました。
それは身体という器から不足のない安定した音が出てきて、
整った心技体の初形が現れたといってもいいかもしれません。
ちょっと大げさに言えば、演奏家藤井貴宏が誕生した場に
居合わせたとような心持ちがしました。
数多の才能がひしめく世界で一人前になるのは大変でしょうが、
そこを突き抜けベルリンフィルに入ってもらいたい。
今後の活躍を心から期待して、次回を楽しみにしたいと思います。
2,3年後また来てくれるとうれしいですね。

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