小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

音楽

音を聴く「今年の音」

今年、音楽界 最大のニュースは、ボブ・ディランが
ノーベル文学賞を授賞したことではないだろうか。
彼は詩人として  ノーベル文学賞を授賞した。

また、このニュースは文学界最大のニュースともなった。
あの村上春樹でなくどうしてディランなのか。
多くの人は考えたことだと思う。 
作家は何らかのメッセージを込め詩文を作る。
新たにディランの詩を文学として読んでみたいし聴いてみたい。

日々音楽を聴きながら今年も過ぎた。
クラシックは楽譜に従っているけど、
演奏家によって曲の表現や印象が違う。
作曲家と演奏者と聴くものがいて音楽は成り立っている。
音楽は三者三様の感性と想像力で楽しむものなのだろう。
今年聴いたクラシックでおもしろかったのは、
マルセル・メイエのピアノで聴いたラモー。
毎日起きては聴き寝る前にきいてきた。
車に乗ったときはニコラーワのピアノで
ショスタコーヴィッチのプレリュードとフーガを。
こちらも毎日飽きもせず面白く聴いていて、CDを取り替える気がしない。

ジャズは何かと聴き直している。
今の自分にあった聴きたいものを探している。
再発見したのはアーマド・ジャマル。
アーゴの「BUT NOT FOR ME」は演奏も良いけど、
オリジナル盤は音質が素晴らしい。
などと、今までは音質にこだわった聴き方だったが、
数枚聴いているうちに、そんな額から外して、
裸のつき合いで楽しめるようになった。
彼のピアノもまた心地よい音楽として日々部屋に流れる。
これからも、今の自分にあってジャズもクラシックも飽きず心地よい、
生活の楽しい伴侶になってもらえればと思っている。
来年も良い伴侶に巡り会えますように。
索漠とした世に音楽は心を慰める福音なのだから。

 

音を聴く~テンペスト~

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ17番「テンペスト」は好きな曲。
いくつもの演奏を聴いてみて、いいと思った自分好みのは、
リヒテルが1965年にライブで演奏したもの。
ところで、この曲はシェークスピアの「あらし」と関係あるらしい。
ベートーヴェンがそのような示唆をしたという。
読めばわかる、と (この曲のなんたるかは)。
後は各自の自由な解釈におまかせするとして、
僕としてはそんなことどうでもいいまま自由に聴いています。
さて、数ある弾き手の中でこれは「嵐」だ!という演奏があります。
1954年4月4日キエフでのライブ録音。
マリア・ユーディナの「テンペスト」は嵐そのもの。
風速60mのすさまじく激しい嵐です。
それは彼女が内に抱えている反骨精神が起こす嵐。
とてつもないエネルギーを放った、
全速力一気呵成の演奏です。
終わってみると、台風一過の解放された清々しさがありました。

IMG

音を聴く~18番(オハコ)~

シューベルトの清く健やかな心根を写し取ったかのようなケンプのピアノ。
自信にあふれた、ためらいのない闊達な指さばきからは、
端正で衒いがない明朗な音が響く。
力強くも激せずデモーニッシュにならず、生き生きと歌の心を奏でる。
ケンプの心音はシューベルトの大地に根を下ろして共鳴している。
健康な穏やかさに満ちた安心感がそこにはある。
それはシューベルトが願い望んだ世界だったのではないだろうか。

「イヨーッ ケンプ!」
シューベルトはケンプの十八番だと肯く。

番外
ソナタ13番 D664
リヒテル イン ハンガリー ブダペスト 1978/8/10
この演奏は心に沁みました。


 

音を聴く~水を得て~

ピアノの音が水を得て水中を飛び跳ね回る。
曲が弾く人を得ると♪が蝶々のように生き生き舞います。
スクリャービンの曲をソフロニツキーが弾くと、
指先から音は軽々と無限夢想の宙を行き交う。
見えない音を追いながら、目を閉じ耳を澄まし、
星の煌めくような音の世界で遊びましょう。

音を聴く~ロシアの音~

ソフロニツキーが同郷の、例えばボロディンやラフマニノフの曲を弾くと、
ロシア人同士が共鳴しているかのような、まさにこれぞロシアだと、
そう感じてしまうような音が鳴り響いて聞こえてきます。
それは遙か彼方の見たこともない大地の空気が、
ここにある空につながって届いているかのようです。
ラフマニノフのつぶやきが聞こえてくることもあれば、
空に舞い上がり木霊になって帰ってくることもあります。 
ソフロニツキーの音は重く深く沈み、太く明確で力強い説得力があります。
ロシアの大地を踏みしめ、大きく息を吐いて、
ラフマニノフと心の起伏を歩んでいるかのようにも聞こえます。
繰り返し聴きたくなる味わい深い音です。

音を聴く~眠れぬ夜に~

病気がちでよく不眠に陥ったカイザーリング伯爵は、
眠れない晩に少しは元気づけられそうな、
穏やかで、いくらか陽気な調子のクラヴィーア曲を幾つか、
ゴルトベルグ(お付きのクラヴィア奏者)のために作って欲しいとバッハに洩らした。
こうして生まれた「ゴルトベルグ変奏曲」を、眠られぬ夜が来ると、
「ゴルトベルグ君、ひとつ私の変奏曲を弾いてくれ」と伯爵は命じた。
フォルケル著「バッハの生涯と芸術」に「ゴルトベルグ変奏曲」
誕生の経緯がこのようなものであったと記されています。
沈んだ気持ちを明るくし眠りにつける子守歌のように穏やかな曲。
そうしたイメージでこの曲をあらためて聴いてみるのも面白いと思い、
何人かの「ゴルトベルグ変奏曲」をピアノ演奏で聴いてみました。
演奏者は等しくこうした曲想を描いて演奏しているものと思うのですが、
やはり各人各様で弾いた人の数の「ゴルトベルグ変奏曲」がありました。
ケンプはちょっと変わってゆるい。
野平さんは進むとうるささが気になってしまう。
チューレックは出だしが母の子守歌のようでいいのだが単調になる。
ユーディナは芸術作品としては素晴らしい演奏。
グールドは新旧ともチャーミング。
あとはニコラーエワを聴いてみます。
ニコラーエワはおばあちゃんの子守歌。
穏やかでやすらぎに満ちたゴルトベルグです。



 

音のいいポータブルPCPD 機種編『ソニー・D-2』

再生音を評価する客観的基準を持たないので、
あくまでも印象を、それもその時に得た主観に過ぎません。
しかし、ただ印象といっても統一感をもって記していきたいので、
音の『濃厚さ』の度合い感を主に記してみたいと思います。
また、それを生み出す音場の『透明感』も。

音の『濃厚さ』の度合い感をどう考えるかというと、
CDに記録されている音を山に見立て、再生音像の頂上を10合目とし、
山裾を1合目と仮定し、音山全体が深くしっかり鳴り響いているほど音像が大きく、
情報量が豊富で、音は濃厚になると想定しました。

IMG_0014
 Sony Discman D-2

製造 1989年 
重量 428g 

入っている音の全てが引き出されているような解像度の高い再生音が印象的です。
澄んだ音場からは音の輪郭が崩れず立体感のある音像が聴かれます。
力強さと繊細感を同時に合わせ持ち、マスタリングの善し悪しをそのままに、
色づけやクセのないナチュラルでソリッドな音作りは、音楽のジャンルを選びません。
見た目のデザインからも想像できる土台のしっかりした濃厚度の高い音です。
また、D-2がすごいと思うのは常用のスチューダーA727と比べて遜色ないことです。

なにはともあれ、出てきた音が生き生きとした音楽に聞こえなければ意味はありません。
オーディオ機材の良し悪しはただその一点にあると思います。
 

音のいいポータブルCDプレイヤー 続

具体的にPCPDの機種名を揚げる前に、
使用している線材、アンプなどを記しておきます。
アンプはLepy、SMSLのデジタルアンプ。
シールド線はウェスタンのコンソール配線材(ポイント!)。
スピーカーコードは電話用単線(100円/m以下)
ライントランスはケースバイ・ケースで
ウェスタン101、197Aを使用。
スピーカーはRCA、JANSENのフィールドタイプなどです。
ポイントになっているシールド線の効果は、
音にバリがあるというのもおかしな言い方なんですけど、
ウェスタンのコードを使うと音のバリというか、
(分かりやすくオーバーにいうと)
ささくれ立った感じが少なくなるように聞こえます。
(たぶん気のせいでしょうが)
PCPDの音質はイヤフォンが最も判断しやすいように感じますが、
据え置き型に替えてメインに使ったときの音を比較する目的なので、
以上の周辺機材で判断します。
では、次回からいよいよ機種をあげて試聴の感想を記します。
完動品とはいえ全て中古品なので、また部品交換もしていませんから、
(交換したくも技術がなくできません)
当初の音質とは違っているかもしれませんが。

レファレンスCDはソニー・ロリンズの『サキソフォンコロサス』
ジョン・コルトレーンの『ブルー・トレーン』
RVGリマスター盤。

 

音のいいポータブルCDプレイヤー(PCDP)

音のいいポータブルCDプレイヤー(PCDP)にハマッた!
コトは蓄音機(HMV)にソガフォンを付け、
https://www.youtube.com/watch?v=wIbfSc4ey8U
デジタルアンプでPCDPを使って主に(SPの復刻)CDを
聴いたことに始まる。
コンセントからの電気を必要としない蓄音機と
乾電池で駆動するPCDPはどこでも簡単に鳴らせる!
この利便性もさることながら、SPの音をCDでソガフォンを通して、
1時間近くも面倒なく(SP盤は3分でしかも針交換)、
蓄音機の音で楽しめるのは大きな喜びだった。
そこで、使用するPCDPの音質が問題になった。
先ず聞かされたのは2000年を境にして、
その頃より前のもののほうが音がいいということ。
さらに四角張った形状のものは、さらにいいということ
も教えてもらった。
ならば、それを求めずにおられましょうや!
しかし、今もちゃんとなるものはあるのか?
なにしろ15年以上も前の製品なのだから。
それでも頑張って?幾つか見つけ買うことができた。
果たしてその音やいかに・・・それは続編で。

機種選定するに当たっては『
スタフ屋 ポータブルCDプレーヤー関係
http://www.sutafuya.net/pcdptop.html
が大変参考になりました。
この場を借りて運営者の右京崇さんに御礼申し上げます。
 

新しい楽しさ HMV102+ソガフォン

曽我さんがソガフォンを取り付けに来られた。
ソガフォンはUチューブに多数の投稿があって、
その内容と音が聞けるということは知っていたが、
今日まで敢えて見ず聞かずにおいた。
何しろ本人がおいでになるのだから予見予断は控えて、
驚くならアッとオドロイテみたかった。
百聞は一見にしかずだし、百見は一聞にしかずを体験しようと待ち望んだ。
そして聴いてみると、そういうことが実際起こった。
あたかもそこに演奏家が立ち現れたようにきこえる。
HMV102はソガフォンからの音を楽器として鳴らしたのだ。
大変豊かなニュアンスを再現する秘密は音道の構造と材質。
ヴァイオリンの音が出てくる箱をじっと見つめていると、
箱はまさしくヴァイオリンそのもののように思えてくる。

1920~30年代のSP音源をCDにした音がソガフォンを経由し
HMVから出てくると、CDの音ではなくSPの音になって出てくる。
しかも単にSPの古めかしい音ではなく、今そこで演奏している
現代の演奏音として蘇ってきこえる。
演奏者が過去からやってくるのか、
聴いてるものが過去へ遡るのか、
刻を超えて奏者と聴者が一体になる。

HMV102の製造は1931年~1958年。
蓄音機のベストセラーであり名器として今なお愛し続けられている。
面白いことに'40年代以降の新しい録音のSPよりも、
古い録音のSPのほうが生々しく鳴る。
このことは、オーディオのハイファイとは何かを示唆しているように思う。
つまり、ハイファイとはレコードやCDに入っている音源の忠実再生なのだが、
その時代の録音はその時代の装置が最も忠実に再現するということを、
このHMV102は如実に物語っている。
SP原盤ではなく、復刻したCDでSPの忠実度(ハイファイ)再生ができるソガフォンは、
新しく音楽の楽しみ方を切り開いて見せた画期的な製品として、
音楽ファンになによりもの贈り物です。

 
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