小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

映画

ミシェル・ペトルチアーニの映画「情熱のピアにズム」

ミシェル・ペトルチアーニ('62.12.28仏、オーランジェ生まれ~'99.1.6ニューヨークで死去)
映画があるのでチラシと割引券を置いてほしいと映画館から依頼があり、
二つ返事でお受けしました。#長野相生座・ロキシーで2月23日~3月8日♭
ペトルチアーニはロートレック (1864年11月24日 - 1901年9月9日)と共に
フランスが生んだ奇才。
人生の感動この一編にありですよ、ジャズ音楽ファンはもとより皆さんお見逃しなくね。

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36年の生涯に残した作品は何枚あるのだろうか。
この機会にウィキペディアで調べてみると・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8B
ざっと30枚で80年代に15枚、90年代に15枚あることがわかりました。
他にもユーチューブで聴くことが出来る
Michel Petrucciani Trio 「Live in Cncert -Stuttgart 1998」
など、亡くなる直前まで素晴らしい演奏活動をしていたことがうかがえます。


(BUDにあるのは5枚のLP、青のマーカー)
  • フラッシュ - Flash (1980年)
  • ミシェル・ペトルチアーニ - Michel Petruciani (1981年)
  • デイト・ウィズ・タイム - Date With Time (1981年)
  • エスターテ - Estate (1982年)
  • トゥート・スウィート - Toot Sweet (1982年)
  • オーラクルズ・デスティニー - Oracle's Destiny (1982年)
  • ダーン・ザット・ドリーム - Darn That Dream (1982年)
  • 100ハーツ - 100 Hearts (1983年)
  • ライブ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード - Live At The Village Vanguard (1984年)
  • ノート・アンド・ノーツ - Note'n Notes (1984年)
  • コールド・ブルース - Cold Blues (1985年)
  • ピアニズム - Pianism (1985年)
  • パワー・オブ・スリー - Power Of Three (1986年)
  • ミシェル・プレイズ・ペトルチアーニ - Michel Plays Petrucciani (1987年)
  • ミュージック - Music (1989年)
  • プレイグラウンド - Playground (1991年)
  • ライヴ - Live (1991年)
  • カンヴァセーション - Conversation (1992年)
  • プロムナード・ウィズ・デュー ク - Promenade With Duke (1993年)
  • 未発表ボックス - Concerts Inedits (1993,1994年)
  • マーヴェラス - Marvellous (1994年)
  • デュオ・イン・パリ - Conference De Presse (1994年)
  • シャンゼリゼ劇場のミシェル・ペトルチアーニ - Au Theatre Des Chapls-Elysees (1994年)
  • ドレフュス・ナイト - Dreyfus Night In Paris (1994年)
  • フラミンゴ - Flamingo (1995年)
  • ミシェル・ペトルチアーニ - Michel Petrucciani (1996年)
  • ソロ・ライヴ - Solo Live (1997年)
  • ボース・ワールズ - Both Worlds (1997年)
  • ライヴ・アット・ブルーノート東京 - Live In Tokyo (1997年)
  • カンヴァセーション・ウィズ・ミシェル - Conversations With Michel (1998年)

  

2013/2/2「カンタ!ティモール」上映会

~「カンタ!ティモール」上映会~

◇2013/02/02(土)18時30分 小布施町 BUD
◇定員25名 要予約
◇申し込みは、080-5147-0019(野池)まで。

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2011年1月16日に京都のひと・まち交流館で行われた音楽ドキュメンタリー映画「Canta! Timor(カンタ!ティモール)」の上映のあと、監督の広田奈津子さんによるトーク=映画の説明と参加者からの感想や質問

ドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘」

権堂のロキシーで「ニッポンの嘘」を観てきました。
今日が最終日なので、やむを得ず店は4時で早じまい。
90歳のフォトジャーナリスト福島菊次郎の軌跡。
その存在と活動は奇跡としか言いようのない、
強い衝撃と畏怖と敬意が伴う感動がありました。
そしてよくこんな映画がつくれたものだという感動もまた。

「ニッポンの嘘」は広く「権力の嘘」と置き替えてもいいでしょう。
政府は国策始め様々な政策を立案し実行に移します。
それが政治であり政府(=権力)の権限であり責任であるわけです。
しかし、その結果が明らかな失敗(敗戦、原子力事故、公害、薬害)
であったとした場合、被害を受けた国家の主権者たる国民に、
そのシモベたる役所と信託を受けた政府はどんな態度に出るか、
それはもう十分に見てきたとおりです。

そしてそれは、どこのどんな国の政体の政府(権力)も、都合の悪いことは
隠して責任を認めず、「権力の嘘」を言い張り続けるものなのですね。

天皇は戦後の記者会見で戦争責任を問われ、
「そういう言葉のアヤについては、私は、そういう文学方面はあんまり
研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題については
お答え出来かねます」と発言したことを採りあげて、
日本人自身の手によって総括され反省されていない戦争を、
このままに放って於いていいのか、と
「天皇の戦争責任展」で福島さんは問いかけています。

天皇の戦争責任は天皇個人というより、天皇制度は、
権力が国民を心理的に支配し、失政責任回避の究極道具として、
必要欠くべからざる誠に都合のいい国家政治体制でしょう。だから、
天皇が記者会見で陳べた言葉のアヤは、戦後も権力支配体制階級の
本音なんですね。戦後の民主主義政府権力が、失政によって犠牲になった
国民に対する責任も、随分と役所的政治的な言葉のアヤで逃げまくって
いたではないですか。権力が国民をみる冷ややかな態度は、
戦前も戦後もそう大きく変わっていないようですね。
福島原発事故から国民の関心をそらし、放射能汚染の実態を隠し、
国民の目を領土問題にすり替えることに尖閣問題を利用している。
戦後民主主義はなお道遠しのようです。

僕は日本が未だアメリカから独立出来ないこと、
政治家が幼稚で稚拙なこと、日本国民が道徳的精神的に後退していること、
その結果として今日の日本国の混迷があり、
その真の根本的な原因理由の大半は、
戦争責任を日本人自身の手によって総括していない、
という倫理的な問題に行き着くような気がしてなりません。

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