小布施のジャズ喫茶 BUD

♪日々好音の米蔵空間で薫り高い神戸萩原の炭火焙煎コーヒーを♪

今日の出会い「白土三平」

座右の書はないが、読み終わってもしばらく
棚に置いておきたい、という本はある。
白土三平著「土の味」「風の味」はそんな本です。
この本の魅力は、素晴らしい写真とともに紹介された、
海浜山野の労働現場で採られ作られた
「生(き)の味」にあるのはもちろんですが、
それと共に氏の味わい深い文章も楽しめるところにある。
一言で言えば文明の進化と野生の退化、
人間も自然の一部という当然の真理を忘れ、
気づかずに生活していることに対する地に着いた洞察です。

IMG_0001

最近こうしたいい顔に出会わなくなりましたね。


『たぁくらたぁ』No37 アベ政治を許さない


IMG_0001

オラも思うだよ、「許せねえって!」アベ政治はよ。
3本の矢、あれは国民を愚弄するだまし絵だよ。
マジメ腐ってあんなこというなんて、天才ペテン師だねえ。

 

『昭和天皇・マッカーサー会見』を読む

『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫
豊下楢彦著

とても分かり易い良い本です。 
日本人である自分にとって[日本に関する全て]は自分の問題である。
という自明の立場からすれば、当然のことながら“天皇”も自分の問題。
この本は昭和天皇という一人の人物を通して、戦前から戦後に懸けて
彼が日本の政治にどのように関わってきたかを検証している。
間違いを犯さない人間はいない、国家もない。
天皇も然りで自ら認めている。
その上でよりよい日本、明日の日本を考えるに資する良書です。

「検証・法治国家崩壊」を読む

「検証・法治国家崩壊」創元社刊
吉田敏浩+新原昭治、末浪靖司[著]

始めから終わりまで 「ハズカシイ」気持ちで一読。
「ハズカシイ」その1
やはりなんといっても検証された「ジジツ」を知らないでいたこと。
「ハズカシイ」その2
人間の知性のシンボルは「人権」の確立と擁護にあると思うのだが、
日本の政治家と官僚は日本国民の人権を置き去りにするため、
自らの知性を放棄していること。
「ハズカシイ」その3
検証された「ジジツ」を知ったからといって、
ないもできないでいる 自分。

人間知性の象徴である「ジンケン」の無視ほど
空恐ろしいことはない。
「知性崩壊」が「法治国家崩壊」、引いては「人権崩壊」の引き金になっている。

 

柳宗悦著「心偈」から

偈とは仏の徳や教えをほめたたえた韻文。
頌(げじゅ)歎仏頌(たんぶつじゅ)讃仏偈(さんぶつげ)などともいう。

柳宗悦は晩年の心境を短く つづった文を
心偈となづけた。
心偈と書いて「こころうた」三十五にある文から。

吾々の不幸の大部分は報酬を予期することに由来しよう。
凡ての怨恨も後悔も、闘争も苦悩も、利己心にもとづくためである。
報いを持たぬとは、己を去ることである。
心にこの用意があれば、幸福は確約される。
何故なら、何事も感謝の念に転じてくるからである。
一切の不平は利己心による。
利己心とは報酬への期待である。

利己心を持たない私心を去った心で観る世界はどのように映ずるものか。

 

「日米地位協定入門」を読む

オモシロイ、とんでもなくオモシロイ。
敗戦後、「トンデモナイクニ」日本がどのように作られたか。
コソコソと秘密裏にクモの巣に絡め取られていく様子が
手に取るように伝わってくる。
屈辱的に、協力的に。
それは日本が進んで自らの手で売国し、
日本をトンデモナイクニ、オソマツナクニにした
ということを忘れず自覚したほうがよい。
条約や協定、そして密約といった法律がどういうものか。
その効力たるやアメリカの強欲絶大なパワーに圧倒される。
いったいどこまで日本はアメリカに追随従属していくのか、
させられていくのか、謀略を使った戦略によって日本を支配していく。
そうだったんだ、「日米地位協定」という法律によって
日本は完全にアメリカの植民地的属国になっている。
日本は経済と軍事でアメリカ国益のために使役させられる国になっている。
アメリカにすり寄らなければ政権を維持できない政治家と官僚の保身。
この現実を知らないで日本の政治の何をか語らんや。
自身よくも今まで知らぬが仏できたものだとあきれるばかり。
それにしても日本人は勤勉素直礼儀正しいのだが、
そのときの支配者の権力にたやすく屈服忍従従属しやすい。
これを失ったら日本人でなくなるという、命に替えても守ろうとする
民族固有の魂、精神的支柱を持たなかった、持つ契機がなかった、
持つ必要がなかった民族のようだ。
それもそのはずという一端は支配者の精神が高貴でなかったこと。
地位だけが高貴で犠牲は圧政によって強権的に被支配者に負わせたことだ。
国の存亡に際し、自らが責任を負い犠牲になることによって国全体を救い守る、
真の高貴さを示す(民族固有の魂、精神的支柱になりうる)
支配者(国父)が歴史上に現れなかったことにもあるのではないか。

今も続くアメリカ軍による日本占領体制。
アメリカは無謀な戦争を仕掛けた日本軍の真珠湾攻撃を
決して忘れずにいる。
アメリカにとって日本は今も敵国扱いなのだ。
その現実が「日米地位協定」。
それは紛れもないアメリカ軍の治外法権に反映されている。
事あれば「身の程知らずのジャップめ」となる。

人権無視被害から生じる影響は命、健康、尊厳に止まらず、
財産や環境をも破壊する。
それは往々にして、自分が生きている社会の現状や歴史に無頓着、
無関心でいることの無知から発生している。

「日米地位協定入門」前泊博盛編著 創元社

読書の楽しみ

人生はいくつになっても新しいことが待ち受けている。
人は沢山のセンサーで新しい情報をキャッチし、
時折ハットするような驚きの感動に出会う。
自分にとって (こそ)大事だと思える、そうした自分にとっての
新事実、自分にとっての新発見は、今までのものの見方を
がらりと革める意識の更新作用をもたらしてくれことだってある。
そんな経験は今を生きる自分の人生を楽しくしてくれる。
読書はそうした経験の一つとしてかけがいのないものだ。
こんなことも知らなかったのかという無知こそが、知った驚きと感動と、
知ることの楽しみ、そして生きている喜びへとつながっていく。
敗戦後70年、知らなかった戦後史の史実ほど面白く興味深いものはない。
と、いま思い知らされている。
好奇心旺盛にして直感と洞察力優れた鋭敏な知性が、情報公開された
アメリカ公文書等を探査して内容をまとめた本が出版されている。
これらを読むと歴史は今を生きる人生の足下を照らす法灯だと気が付く。
それは明日に思いを巡らす道標ともなろう。
創元社の「戦後史再発見」双書はそうした希有な本だとおもう。

 

司馬遼太郎~街道をゆく~2

日頃、人生は日々好日にして日々更新、
日々吉日であったらいいなあと思っています。
その心は、くよくよせずに、よりよい明日という
可能性を希望にして生きていきたい。という気持ちです。
人生最後の日は大安吉日で終わりたい。
そうです、いくつになっても思い立ったが吉日。
毎日吉日という種を蒔いて、やりたいことをやって、
人生の花を咲かし続けられたらどんなにいいでしょう。

さて、日韓日中はよく歴史認識で問題になりますが、
よりよい明日のために歴史を学び、自分なりの歴史観を
持つことは、国民の常識として言うまでもなく大切なことです。
司馬さんはこんなことを言っています。

~韓(から)のくに紀行~から
 明治のころ、日本の東洋学の学者で朝鮮史に関心をもつ多くが、日韓同祖論という気分であり、喜田貞吉などはその代表的な存在であった。日本にコンパスの針を置くことさえやめれば、大きい場所で私はいまでもこれらの考えがまちがっているとは思わないが、しかしこの種の学説は朝鮮人を決してよろこばさなかった。
 その機微は、朝鮮人の立場に立って考えてみればわかる。日本よりも古い時代から堂々たる文明と独立国を営んだ歴史をもつ朝鮮人にとって、漢文用語でいう東海の島夷(日本)が、にわかに偉そうぶって、「お前たちとおれたちとは先祖は同じだよ」どうだ、うれしいだろう、という態度でいったところで、誰がよろこぶか。
 

司馬遼太郎~街道をゆく~

~近江散歩から~
昭和30年代から急速に膨張した土木人口が、政府・自治体の予算を餌にして、ときに飢え、ときに血膨れし、国土のなかを猛獣のように彷徨している。政治家の票にむすびついては、無用のダムや埋立地や橋梁などをつくってきたが、近江にかぎっていえば生命の源泉というべき琵琶湖をねらうところまできているらしい。猛獣は家畜として訓致しなければならない。こまるのは、どのように飼いならすかということについて、政党も新聞も、あるいは学者や思想家たちも訓致のための原理と方法をつかんでいないことである。土木人口や土木学が悪なのではなく、この国と社会における棲み方の思想が掴まれていないことが、悪といえるのではないか。

「素粒子はおもしろい」(*_*)

先日、須坂図書館でちょい読みした「素粒子はおもしろい」は、
著者の「益川敏英はおもしろい」ので借りてきました。
ビッグバンで生まれた時間と空間に散らばった素粒子は
物質の最小単位。と、いうことなんでしょうが、そのお話しは
目を斜めに走らせただけで、難しく頭の隅にも留まりません。
それでも借りてきたのは、難しいお話しの合間に組まれた“コラム”と、
最終第7章-科学の役割と私たちの学び方-だけでも読みたかったから。
そこには機知に富んだユーモアあふれる“小話”が
語られていて、思わず笑い出してしまうので、ぼくは
「益川敏英はおもしろい」として楽しんで読ましてもらいました。
その上に親しみを覚えたのは、益川先生はベートーヴェンがお好きで、
ピアノソナタ全32曲はまんべんなく聴いていると書かれていたこと。
誰の演奏で聴いているのかなあと思いつつ、
僕は大好きな第一番をイーヴ・ナットで聴きながら、
‥ああ、この曲が流れている中、ロッキングチェアーにもたれて、
ガラス窓の外に見える紅葉を眺めつつ、夢を見るように
この世から去って逝かれたらいいだろうなあ‥
などと妄想だけはたくましくしていました(笑)
それはともかく、おもしろかった二重丸は・・その一つに。
◎「自由とは必然性の洞察である」というヘーゲルの言葉を引いて、
科学とはものごとの必然性の追求、こうすればこうなるということの
法則性を確立するのが科学なのです。それは人間により多くの自由を
準備する。“しかしそれをどう使うかは人間の選択にゆだねられている”
先生はそれで万々歳とは言っておらず“泣かせる言葉”だとも。

IMG


記事検索