江戸時代じゃあるめえし、民がひれ伏し武士が腹を切る覚悟で仕える名君なんているワケねえが、今じゃ名家・といっても儲ける才覚で成金になったか、政官業のある地位にいてそのウラガネを貯め込んで家を構えただけなんだが、その孫ひ孫の議員(政治家なんて言うも烏滸がましい)に至っては補乳瓶からチュウチュウ政治献金を吸ってるアリサマ。他のン世も大同小異なのだが、なぜかそのような者に群がり有り難がる(正にアリがたかるような)ゼンニンがたくさんいる。このたくさんの(一を与えれば十を差し出す)ゼンニンによって戦後政治は支えられ来たと言っても過言ではないのだが・・。しかし今悲しいことに、ゼンニンが有り難がってきた者たちは・・ああ言うも空しい無力をさらけ出して、ピイチク・パーチク責任のなすり合いばかりしておる無責任・無能な連中に成り下がっているではないか。しかしまあそんな役立たずの者達のことばかり言っても何の役にも立ちゃしねえ。ただわかているのは、今までのゼンニンがこの先もそのままゼンニンでいれば、広島・長崎・福島に続く第4・5・6・・の被爆地ができて、日本は終めえってことよ。これだけはまちげえねえ、そのくらいのこと、このボケボケの体たらくを見りゃわかるってもんだ。あっちこっち被爆地作り、さらに作ろうとして何が国家国民のためかよ。こればっかりは笑えねえな。なに神話ってのは方便でさ(科学でも真理でもねえ)、戦前じゃ天皇神話(天皇・国体・国策・国是が恰も一体)、戦後は原発神話(安心・安全・安価)をなかばデッチアゲて使ってきたわけだけど、その副作用のひでえこといったら、敗戦・被爆・領土喪失・再被爆・被爆地難民・被爆国土喪失を産み出すってことを忘れちゃいけねえな。もう一つでえじなのは、人間としての尊厳、個人としての譲れない信念まで捨てさせ、逆らえねえ窮地に追い込んで、その結果無責任に殉じさせてしまう恐ろしい副作用を持ってるちゅうことだよ。聡明な頭脳と明晰な判断で、この戦争は負けると判っていた軍人・政治家も遂にその人間的美徳を持って正義心を発揮し、真実いつわりなき忠臣愛国の自己犠牲を表し悔いなき生涯を全うすることが出来なかったのも、それが誰かに利用される都合の良い方便に過ぎなかったからさ。最後にお忘れなきよう、なにより日本は地震過剰国ということだけは。