前回、法隆寺を訪れたのは4月8日。このときは食堂で行われる仏生会に参拝しました。
http://www.horyuji.or.jp/busshoe.htm
今回11月15日は勝鬘会が行われる日。この日も大講堂で参拝できました。
大講堂に向かう僧侶
さて、いよいよ法隆寺夢殿の救世観音像を見るときがやってきました。
救世観音は何よりもまず聖徳太子の等身像であるということが大変興味深い。
救世観音を写真で見る限り、紙幣の聖徳太子肖像画とはあまりにも違いすぎている。
ならばこの目で見てみたい。聖徳太子の似姿お顔を。
聖徳太子【敏達天皇3年(574年)~推古天皇30年(622年)】
聖徳太子の時代、キングメーカーは蘇我氏。権力争いは謀略陰謀が渦巻き権力者達の心は疑心暗鬼(いつの時代も)。そこに時代の寵児中臣鎌足が人心掌握術を持った天才謀略家として日本の政治史にスーパースターのように登場します。彼は中大兄皇子と謀りストップ・ザ・蘇我王朝を計ります。彼は先ず蘇我氏を唆し蘇我王朝の大王皇族である聖徳太子の子、山背大兄王一族を死に追いやり、次に中大兄皇子と組んで蘇我氏を滅亡させます。その子藤原不比等は天皇家の外戚となり、藤原氏はキングメーカーとして藤原王朝を築いていきます。その始祖鎌足が滅ぼした聖徳太子一族の祟りを封じ込めるため、救世観音は金堂から夢殿に移され、後頭部に釘を打たれ、白布に巻かれ、二度と藤原氏に難が及ばないよう閉じこめられました。興味尽きない歴史秘話です。
法隆寺から歩いて山背大兄王建立の法起寺と法輪寺に向かいました。その中間にある小さな丘は山背大兄王が眠っているとの伝えがあります。
法輪寺三重塔
岡の原丘陵 伝山背大兄王墓所
法起寺三重塔
法起寺の門前で。この場で食べたが甘く美味しい柿だった。
子規もこの富有柿を食べたのだろうか。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
今日は早朝からよく歩き万歩計は30.000を超えました。
奈良駅に戻り夕食までの時間奈良ホテルで一服。
奈良ホテル崖下、荒池で。
コーヒー・紅茶・ケーキすべて美味しい。ゆっくりとしたティータイム。
http://www.horyuji.or.jp/busshoe.htm
今回11月15日は勝鬘会が行われる日。この日も大講堂で参拝できました。
大講堂に向かう僧侶
さて、いよいよ法隆寺夢殿の救世観音像を見るときがやってきました。
救世観音は何よりもまず聖徳太子の等身像であるということが大変興味深い。
救世観音を写真で見る限り、紙幣の聖徳太子肖像画とはあまりにも違いすぎている。
ならばこの目で見てみたい。聖徳太子の似姿お顔を。
聖徳太子【敏達天皇3年(574年)~推古天皇30年(622年)】
聖徳太子の時代、キングメーカーは蘇我氏。権力争いは謀略陰謀が渦巻き権力者達の心は疑心暗鬼(いつの時代も)。そこに時代の寵児中臣鎌足が人心掌握術を持った天才謀略家として日本の政治史にスーパースターのように登場します。彼は中大兄皇子と謀りストップ・ザ・蘇我王朝を計ります。彼は先ず蘇我氏を唆し蘇我王朝の大王皇族である聖徳太子の子、山背大兄王一族を死に追いやり、次に中大兄皇子と組んで蘇我氏を滅亡させます。その子藤原不比等は天皇家の外戚となり、藤原氏はキングメーカーとして藤原王朝を築いていきます。その始祖鎌足が滅ぼした聖徳太子一族の祟りを封じ込めるため、救世観音は金堂から夢殿に移され、後頭部に釘を打たれ、白布に巻かれ、二度と藤原氏に難が及ばないよう閉じこめられました。興味尽きない歴史秘話です。
法隆寺から歩いて山背大兄王建立の法起寺と法輪寺に向かいました。その中間にある小さな丘は山背大兄王が眠っているとの伝えがあります。
法輪寺三重塔
岡の原丘陵 伝山背大兄王墓所
法起寺三重塔
法起寺の門前で。この場で食べたが甘く美味しい柿だった。
子規もこの富有柿を食べたのだろうか。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
今日は早朝からよく歩き万歩計は30.000を超えました。
奈良駅に戻り夕食までの時間奈良ホテルで一服。
奈良ホテル崖下、荒池で。
コーヒー・紅茶・ケーキすべて美味しい。ゆっくりとしたティータイム。