6月23日、写真家高木こずえさんをお迎えして、
高木こずえ~写真の話と公開撮影~
「なぜ今日ここでこれを撮るのか?」を行いました。

これまでに出版された高木さんの写真集は3冊、
いずれも店内に置いてあり多くの方が見ていますが、
その反応は「よくわからない」とみなさん言われます。

その「よくわからない」写真を撮る高木さんが、
どんな人なのか、どんな話しをするのか、
そして当日、何をどう撮るのか。
写真におぼえのある方は興味津々と
来られたことと思います。

自作の「SUZU」と母校東京工芸大学の大作(タテ13mヨコ3m)
を中心にスライド上映しながら、どこで何を撮ったか、撮った写真を
どのようにして作品にしたか(デジタル加工含め)といった話しの中で、
生い立ちの地である諏訪の写真集「SUZU」は、
諏訪と自分との関係・結びつきを確認出来、
自分とは何者なのかといった存在することの意味を見つけた。
とのくだりがありました
しかし、その後何を撮ったいいか分からないままシャッターだけは切り続けた。
それらの写真をコラージュした工芸大の作品の中に、縄文から弥生にかけての
琵琶島遺跡から、「何か」が埋もれているという着想にヒントを得た
「何か」が自作の一部に埋もれているのが見えた。
日本の古層と自作の層が結びつき、それが次作への前進になった。
そしてそれは今回のパフォーマンスへとつながった。
自作した撮影のための小道具を準備し、衆目の中撮影は1時間に及んだ。
その後、数人の方からの質疑応答で会は終了した。

クライアントからの明確な目的を持った依頼のもとに
注文制作するのではない高木さんの写真。
高木さんの写真家としての立ち位置は、自分を映し出すものとしての写真。
それ以外のものではない。
彼女は生まれもったクリエーターなのだ。
一見無作為に無意味にみえる「MID」だが、
そこには現代の底知れない不安が隠されているではないか。
作家は意識するしないにかかわらず時代とリンクしている。
高木さんの今後の創作活動を長い目で見守りたい。

会場にて

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