偈とは仏の徳や教えをほめたたえた韻文。
偈頌(げじゅ)歎仏頌(たんぶつじゅ)讃仏偈(さんぶつげ)などともいう。
柳宗悦は晩年の心境を短く つづった文を心偈となづけた。
心偈と書いて「こころうた」三十五にある文から。
吾々の不幸の大部分は報酬を予期することに由来しよう。
凡ての怨恨も後悔も、闘争も苦悩も、利己心にもとづくためである。
報いを持たぬとは、己を去ることである。
心にこの用意があれば、幸福は確約される。
何故なら、何事も感謝の念に転じてくるからである。
一切の不平は利己心による。
利己心とは報酬への期待である。
利己心を持たない私心を去った心で観る世界はどのように映ずるものか。
偈頌(げじゅ)歎仏頌(たんぶつじゅ)讃仏偈(さんぶつげ)などともいう。
柳宗悦は晩年の心境を短く つづった文を心偈となづけた。
心偈と書いて「こころうた」三十五にある文から。
吾々の不幸の大部分は報酬を予期することに由来しよう。
凡ての怨恨も後悔も、闘争も苦悩も、利己心にもとづくためである。
報いを持たぬとは、己を去ることである。
心にこの用意があれば、幸福は確約される。
何故なら、何事も感謝の念に転じてくるからである。
一切の不平は利己心による。
利己心とは報酬への期待である。
利己心を持たない私心を去った心で観る世界はどのように映ずるものか。