36年前、古谷さんは東京から信州新町山穂刈宇内坂にある廃校、
宇内坂津和第三分校に家族と引っ越してきた。奥さんと4歳になる息子と。
人、モノ、金、情報の独占地帯東京をスピンアウトして。
そして、、、、陶芸を生業と定め定住した。
7年前、支えだった奥さんをなくし陶芸への意欲を消失してしまう。
以後、陶芸教室で教えながら3年を過ぎた頃から再び作陶を開始、
現在は宇内坂分校に独り住み窯を焚いている。
恒例だった春と秋の分校展も復活した。
今日、その地を訪れたのは実に15年ぶりのこと、
秋の分校展開催の案内状をいただいてのことだった。
山奥の紅葉が晩秋の日を浴びている山道を少し下った所に、
分校は以前と変わらず静かに柔らかい日に照らされていた。
室内に展示された器の数々は昔を今に写した古谷さんならではのものばかり。
お茶をいただきながらの話は、お互い健康には気をつけようだった。
じゃあまた、、、再会を約し分かれを告げる。
寒い冬を無事乗り越えられるよう祈って。
古谷さんは元気な姿で迎えてくれた。
その昔求めたコーヒーカップとソーサー
追記 古谷さんの酒器が載っています。
宇内坂津和第三分校に家族と引っ越してきた。奥さんと4歳になる息子と。
人、モノ、金、情報の独占地帯東京をスピンアウトして。
そして、、、、陶芸を生業と定め定住した。
7年前、支えだった奥さんをなくし陶芸への意欲を消失してしまう。
以後、陶芸教室で教えながら3年を過ぎた頃から再び作陶を開始、
現在は宇内坂分校に独り住み窯を焚いている。
恒例だった春と秋の分校展も復活した。
今日、その地を訪れたのは実に15年ぶりのこと、
秋の分校展開催の案内状をいただいてのことだった。
山奥の紅葉が晩秋の日を浴びている山道を少し下った所に、
分校は以前と変わらず静かに柔らかい日に照らされていた。
室内に展示された器の数々は昔を今に写した古谷さんならではのものばかり。
お茶をいただきながらの話は、お互い健康には気をつけようだった。
じゃあまた、、、再会を約し分かれを告げる。
寒い冬を無事乗り越えられるよう祈って。
古谷さんは元気な姿で迎えてくれた。
その昔求めたコーヒーカップとソーサー
追記 古谷さんの酒器が載っています。
菓子資料室 虎屋文庫のHP
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/