Pablo Casals 1876/12/29ー1973/10/22
『チェロの「王者」カザルスの話をするのはまことに楽しい。』
書き出しでこのように切り出したあらえびすさん。
王者への礼讃は敬服の言葉で埋め尽くされています。
その人間性、音楽性、芸術性に対する心服はゆるぎないものです。
聴く前に読めば真面目な人は襟を正し、
あらえびすさんの言葉で聴かんとも限りません。
それを聴き取れなければ、我が聴く耳を疑いかねんとも。
心動かされるキャチコピーに導かれ、カザルスを聴いてみたい!
という動機はとても大切な気持ちです。
嘘偽りなきあらえびすさんの言葉を信じ聴くのですが、
面白いかどうかは、『自分の耳』を信じて判断したいものです。
レコードでカザルスの演奏が聴けるのは、1910年代の録音からです。
このときすでに30歳台半ば、さぞ若々しい充実した演奏をしていたことでしょう。
この時代の録音はまだ機械式で電気を使ったものではありません。
このため、音はカザルスの生気溢れる魅力を十分に伝えていません。
しかし、雑音混じりでカボソイながら、その演奏は決して干からびていません。
耳を傾ければ、ロマンの香り放つカザルスの歌が聞こえてきます。
これら旋律の美しい小曲や「鳥の歌」からカザルスの気風を感じています。

このレコードは電気録音初期1926年のもので音もよく、
カザルス50歳の力強い張りのある官能的な名演奏を聴くことができます。
想像するしかありませんが、カザルスは魂の人。
実演を聴いた人は、弦の響きから伝わってくる魂の波動に、
心を持っていかれたのではないでしょうか。
『チェロの「王者」カザルスの話をするのはまことに楽しい。』
書き出しでこのように切り出したあらえびすさん。
王者への礼讃は敬服の言葉で埋め尽くされています。
その人間性、音楽性、芸術性に対する心服はゆるぎないものです。
聴く前に読めば真面目な人は襟を正し、
あらえびすさんの言葉で聴かんとも限りません。
それを聴き取れなければ、我が聴く耳を疑いかねんとも。
心動かされるキャチコピーに導かれ、カザルスを聴いてみたい!
という動機はとても大切な気持ちです。
嘘偽りなきあらえびすさんの言葉を信じ聴くのですが、
面白いかどうかは、『自分の耳』を信じて判断したいものです。
レコードでカザルスの演奏が聴けるのは、1910年代の録音からです。
このときすでに30歳台半ば、さぞ若々しい充実した演奏をしていたことでしょう。
この時代の録音はまだ機械式で電気を使ったものではありません。
このため、音はカザルスの生気溢れる魅力を十分に伝えていません。
しかし、雑音混じりでカボソイながら、その演奏は決して干からびていません。
耳を傾ければ、ロマンの香り放つカザルスの歌が聞こえてきます。
これら旋律の美しい小曲や「鳥の歌」からカザルスの気風を感じています。

このレコードは電気録音初期1926年のもので音もよく、
カザルス50歳の力強い張りのある官能的な名演奏を聴くことができます。
想像するしかありませんが、カザルスは魂の人。
実演を聴いた人は、弦の響きから伝わってくる魂の波動に、
心を持っていかれたのではないでしょうか。