音楽のレコーディングが始まったのは、早くも1900年代の初めです。
以来多くのアーティストがレコーディングをして、
音楽は居ながらにして好きなときに聴かれるようになりました。
初期からのSPレコードは、今でもLPなりCDになって盛んに聴かれています。

人は何故腹の足しにもならない音楽を熱心に聴くのでしょうか。
かくいう僕もラジオから巷から響いて来る音楽を聴いて育ち、
いつしか歌謡曲やポピュラーは生活の一部になり、
やがてクラシックやジャズを好んで聴き、熱心に耳を傾けるようになりました。
特に耳が良かったということもなく平凡な人間として、
普通に音楽を聴きたいということだったと思います。
それは腹の飢えの裏側に潜む心の飢えを満たしたかったからでしょう。
もちろん音楽だけが精神の飢えを癒すことに任じているのではありませんが。
以来、レコードで聴く音楽とオーディオは二人三脚で心の糧になってきました。

飯を食って、腹は満ちてああ美味かったと満足するように、
音楽を聴いて、心は感動してああ素晴らしかったと満たされます。
音楽は聴いて理解するものではなく、心でただ感じるもので、
そこに感動や面白さ楽しさがあるのだと思います。
心は感じることを求めている?音楽はその求めに応じるもの?
そう考えると、音楽は心と深くつながっていて、
人間がメシだけで生きている生き物ではないということです。
すなわち、人間の心(精神)は生命に深く関わっている。
より高く美しい精神的宇宙に対する衝動が創造的な作品を生み、
偉大な音楽家はその見えない精神を聴こえる音楽にしたと言えます。
ですから良き音楽は胸をときめかし、じっと聴き入るだけの力を持っていて、
時をおいて何回聴いてもエヴァーグリーンであり続けるのです。
そこには譜面を捕らえただけの演奏を超え、独創的創造的な即興性が潜んでいます。
それは良さを聴き取ろうとしなくとも、自然と人の耳を奪います。

美味しいご飯と良き音楽は人生の楽しみですね。