「汝自身を知れ」とありますが、
実際問題として、自分を知ることは容易ではありませんね。
そもそも「汝自身を知れ」とはどういうことなのか、
この言葉が何を言おうとしているのか、
それが正確にわからなければ、何も知ることは出来ません。

僕はこの意味を自分の「無知」とか「分限」を知りなさいという、
教育的・道徳的・哲学的な反省的言葉と解釈して、
己を知る道標にするのも良いとは思いますが、
そんなに謹厳に考えなくともいいのでは、と思っています。

熊さん八さんのように「てやんで、自分のことなんざ百も承知してらあ」と。
つまり、
お勉強した知識を道具にしてコムズカシク考えずに、
生身の自分から出たカクシダテのないスキキライだけでいいのではないかと。
これがナカナカ簡単ではないのは、全くソンタクせずものが言えないことからもわかります。
アリキタリの世間体で考えない、世間のアカに汚れてない子供や熊さんハさんだから言えるのですね。
普通は比較しされていく中で自分を見て、自信を持ったり無くしたりしながら、
まわりを見てものを言っているように思います。

しかし、趣味の世界でそんな忖度遠慮は無用です。
日々、自分の音探しに明け暮れるオーディオマニアは、
自分の分身とも言うべき音を得たいと模索していて、
満足する音を射止めれば、知りたい己に出会ったかのように喜びます。

音なんて一度空中に放たれれば二度と捉まえられないものなのに、
なんだか子供じみて、いや全くその通りなんですが、
これが魂に響くのですから深いんですね、実に。

追い求めた音の先には何があるんでしょうね?