「弘法筆を選ばず」とは、
技量が優れていれば道具に左右されない。
ということですが、この格言をオーディオに当てはめてみますと、
さしずめ弘法は「良き曲・良き演奏・良き録音」という名盤で、
筆はプレーヤー・アンプ・スピーカーに当たります。
ということは、弘法の書はどんな筆を使っても目を奪い、
名盤はどんな装置で聴いても耳を奪うということですね。
なので、オーディオを極めるとは、名盤中の名盤を集めて聴くこと、
ではないかと思っているのですが。
それがどういうわけか、名機中の銘機を揃えて、
我がオーディオここに極まれり、とご満悦になっていますね。
音は耳で聞くより、眼で聴いた方が説得力がある!
そんなわけないでしょ?と思っていますが、
銘機を見ながら音が出てくると、さすが!
と思ってしまうのは、探しまくった銘機の魔力が放つ、
「百聞は一見にしかず」の説得力なんでしょうか。
何がホンモノの名演奏なのか?は、わかりにくくとも、
何を掛けてもこの機器はいい音がするなあ!
という方が、分かり易い!のかもしれませんが、
演奏に感動する心が宿っている限り、オーディオはそれを表現する手段として、
あくまでも音楽があってのものだと思っています。
技量が優れていれば道具に左右されない。
ということですが、この格言をオーディオに当てはめてみますと、
さしずめ弘法は「良き曲・良き演奏・良き録音」という名盤で、
筆はプレーヤー・アンプ・スピーカーに当たります。
ということは、弘法の書はどんな筆を使っても目を奪い、
名盤はどんな装置で聴いても耳を奪うということですね。
なので、オーディオを極めるとは、名盤中の名盤を集めて聴くこと、
ではないかと思っているのですが。
それがどういうわけか、名機中の銘機を揃えて、
我がオーディオここに極まれり、とご満悦になっていますね。
音は耳で聞くより、眼で聴いた方が説得力がある!
そんなわけないでしょ?と思っていますが、
銘機を見ながら音が出てくると、さすが!
と思ってしまうのは、探しまくった銘機の魔力が放つ、
「百聞は一見にしかず」の説得力なんでしょうか。
何がホンモノの名演奏なのか?は、わかりにくくとも、
何を掛けてもこの機器はいい音がするなあ!
という方が、分かり易い!のかもしれませんが、
演奏に感動する心が宿っている限り、オーディオはそれを表現する手段として、
あくまでも音楽があってのものだと思っています。