1966年7月10日(日)、サンケイホール(東京都)
1966年7月11日(月)、サンケイホール(東京都)☆
1966年7月12日(火)、フェスティバルホール(大阪府)
1966年7月13日(水)、広島公会堂(広島県)
1966年7月14日(木)、長崎公会堂(長崎県)
1966年7月15日(金)、長崎平和公園で合掌、福岡市民会館(福岡県)
1966年7月16日(土)、京都会館第二ホール(京都府)、松竹座(大阪府)

1966年7月17日(日)、神戸国際会館ホール(兵庫県)△
1966年7月18日(月)、新宿厚生年金会館(東京都)
1966年7月19日(火)、新宿厚生年金会館(東京都)
1966年7月20日(水)、フェスティバルホール(大阪府)
1966年7月21日(木)、静岡市公会堂(静岡県)
1966年7月22日(金)、新宿厚生年金会館(東京都)☆、東京ビデオホール[交流ジャムセッション]
1966年7月23日(土)、愛知文化講堂(愛知県名古屋市)

これはコルトレーン日本公演の全日程です。
公演を聴きに行った人なら誰しも、
これが凄まじく過酷な超人的日程だと思うことでしょう。
大谷が投げては完封し、翌日打っては満塁ホームランを連日繰り返しているようなものです。
そう改めて思ったのは、ライブ・イン・ジャパンのレコードで、
マイ・フェイバリット・シングスを聴き、(1966年7月22日新宿厚生年金ホール)
目の前に当時のコルトレーンの姿がありありと浮かんできて、
その演奏に圧倒され固唾を飲んで聴き入っていたことを思い出したからです。
全身全霊の演奏が熱を帯び、めくるめく音の洪水が会場に溢れ聴き手に押し寄せ、
コルトレーンは膝を折り身を屈め、サックスを床スレスレに構え、
いつ終わるともなく吹き続けている姿に信じられない衝撃を受け、
忘我の状態になりました。

遡ること57年前の録音に、今なお衝撃の記憶の脈がピクピクと伝わってくる鮮烈感を
ゾクッとしながら聴いて、コルトレーン体験はジャズそのものだと感じました。

表現者コルトレーンの演奏を支えている技法や理論などの知識は、
音の出し方や演奏を理解するのに役に立つかも知れませんが、
それより黒人のジャズフィーリングという伝統に根ざした、
ブルースを演奏している、と感じながらいつも聴いています。
ジャズを聴く楽しみと喜びはそのあたりにあります。

CDの音であれレコードの音であれ、真空管であれトランジスタであれ、
表現者が演奏に託した精神は等しく一つのものとして聴かれるのは、
当然といえば当然ですが有り難いことです。