音は人なり。
人のオーディオを評して「音は人なり」と言うことがあります。
大抵は右肩下がりの気持ちで「まあ、人なりだな」って言いますが、
これって悪口ですから本人の前では言いません。
ですが、いい意味で使う時もあります。
音はまぁまぁだけど、いいんじゃない、あの人らしくて。
とまあ褒めないまでも認めてくれる。
音楽を聴きたい人は音の良し悪しより音楽そのものを聴いている。
音に無頓着ということではなく、神経というか注意の向け方(比重)の問題です。
それがその人らしさのオーディオ(聴き方)になっている。
そうです、聴いている人の顔が違うように音も違うのです。
仲間が10人にいれば10の音(オーディオ)があって当たり前。
好きな音楽、楽器、好きなアーティスト、好きなアンプやスピーカーとみんな違ったものを選んでいます。
その違いが音の違いに出るのは当然です。
そしてここからが肝心なのですが、違いが個性として確立しているか。
言い方を変えると、自分の(その人の)音になっているか、ということです。
これは意外に難しいことで、プロの演奏家も自分の音を持っている人は稀れです。
人の心を掴む音で演奏できる人は真のアーティスト(歴史に埋もれない人)だけ。
とまあ、みんな自分だけの音作りに苦心苦労をしているわけです。
人のオーディオを評して「音は人なり」と言うことがあります。
大抵は右肩下がりの気持ちで「まあ、人なりだな」って言いますが、
これって悪口ですから本人の前では言いません。
ですが、いい意味で使う時もあります。
音はまぁまぁだけど、いいんじゃない、あの人らしくて。
とまあ褒めないまでも認めてくれる。
音楽を聴きたい人は音の良し悪しより音楽そのものを聴いている。
音に無頓着ということではなく、神経というか注意の向け方(比重)の問題です。
それがその人らしさのオーディオ(聴き方)になっている。
そうです、聴いている人の顔が違うように音も違うのです。
仲間が10人にいれば10の音(オーディオ)があって当たり前。
好きな音楽、楽器、好きなアーティスト、好きなアンプやスピーカーとみんな違ったものを選んでいます。
その違いが音の違いに出るのは当然です。
そしてここからが肝心なのですが、違いが個性として確立しているか。
言い方を変えると、自分の(その人の)音になっているか、ということです。
これは意外に難しいことで、プロの演奏家も自分の音を持っている人は稀れです。
人の心を掴む音で演奏できる人は真のアーティスト(歴史に埋もれない人)だけ。
とまあ、みんな自分だけの音作りに苦心苦労をしているわけです。